第127回 えっ!?原宿なんて地名は無い?
担当:
裏辺金好
一昔前に比べれば、若者文化発信基地としての地位を、やや低下させているような嫌いもある原宿ですが、それでも東京都心を代表する観光地の1つであることは間違いないでしょう。日々、多くの人が1924(大正13)年に建築された駅舎を持つJR原宿駅を降り、様々な場所に向かっていきます・・・が、地図を見てみると、どこにも原宿という地名はありません。
あ、疑っていますね。
ならば、こちら
から地図を見てぜひご自分で探してみてください。みれば解ると思いますが、JR原宿駅周辺は東側が神宮前、西側が代々木神園町です。もちろん、品川区にはなく、港区にあるJR品川駅のような例もありますから、もう少し周辺を探しても・・・千駄ヶ谷とか、青山とか、渋谷などになってしまい、やはり原宿はありません。ちょっと待て、じゃあ、この原宿ってなんですか?
実を言うと、原宿と言う地名は、関東各地にいくつか存在した鎌倉街道の宿場町としての名前なのです。江戸時代から明治初期にかけて、原宿村というのが存在していたんですね。ところがどっこい、明治22年に市町村制が施行されると、千駄ヶ谷・原宿・穏田の3村で千駄ヶ谷村を形成することになったのです。さらに、昭和7年10月1日には渋谷町、千駄ヶ谷町、代々幡町が合併し、東京市渋谷区が成立しています。
こうした中で、原宿と言う名前は千駄ケ谷村大字(おおあざ)原宿、ついで渋谷区原宿1丁目〜3丁目として存続していたのですが・・・な、なんと昭和40年に、住居表示に関する法律(昭和37年制定)に基づいて住居表示が変更となり、神宮前1〜4丁目と、他の地名と共にまとめられてしまいました。何でこうなったかと言うと、原宿と一緒に合併した穏田という地名と原宿をまとめようとしたのですが、今の市町村合併でもよくあるように、どっちの名前を存続させるかが決着つかなかった。こうして、明治神宮の前だから・・・ということで、神宮前という新しい地名が与えられてしまいました。
こうして原宿、駅名や商店街の名前としては未だに消えることも無く残っていますが、行政区画の地名としては姿を消してしまっているのです。
最近、再開発によって再び有名になった「汐留」も、現在では地名が無いですね。
やはり住居表示に関する法律に基づき、新橋の一部と併せて東新橋という名前になってしまいました。住居表示に関する法律については機会があれば詳しく見ていきますが、簡単にいいってしまえば地名を統廃合して、周南市周陽2丁目19−2、のようにすっきりさせてしまおう、と言うのが狙いの法律。あっちこっち、地名が山ほどだとややこしいという発想が原点にあります(このほかに地番が複雑になっているから、という事情がありますが、話がややこしくなるので、また今度)。これによって、日本全国から膨大な量の由緒ある地名が消えていきました。
東京では例えば、六本木は逆に、多くの地名を殺した上で生き残っている地名です。
このあたり、戦前は麻布区があったので、麻布市兵衛町、麻布箪笥町、麻布谷町、麻布鳥居坂町、麻布材木町、麻布六本木町・・・と、戦後はいずれも麻布を地名の前につけていますが、いずれも由緒ある地名が数多くありました。しかし、これを全て六本木○丁目にまとめてしまいました。地名の点だけで言えば、歴史を無視したあまりにもったいない愚行・・・。
と、いうわけで皆さんも暇があれば、ぜひ自分の住んでいる地域のうち、○○1丁目のような場所は、元々どういう地名だったのか、ぜひ探してみましょう!
探し方ですが、東京の場合は駅名や、鉄道のガードレールなんかに、まだ昔の名前で管理しているところも非常に多いようです。聞いたことも無い名前が入っていたりして、調べていると結構楽しいですよ。一方で、未だに住居表示の変更を行い、小さな地名を統合していく動きは全国で続いています。この動きにも要注意、です。