第144回 遺伝子導入技術は、人類専売特許ではない
担当:
氷川雨水
何年か前からスーパーで買い物をしていると、大豆製品などで「遺伝子組み換え」の文字を目に知ることが多くなってきました。その多くは「遺伝子組み換えを行った原料を用いていない」ことを消費者に向けてアピールしている内容で、如何に「遺伝子組み換え」というものが、世の中に嫌われているかよくわかります。それはおそらく、遺伝子組み換え、もしくは遺伝子導入などの技術は人類が作り上げたもので、それによって作られた生物(多くの場合農業作物)は生態系を乱し、人類にとって危険であるかもしれない、というイメージが影響しているように思われます。
しかしながら、遺伝子導入技術は人類がはじめて行ったものなのでしょうか。実はそうではないのです。
土壌細菌の一種にアグロバクテリウム(Agrobacterium)という細菌がいます。これは、植物に対して、クラウンゴール病(植物体の一部が腫瘍のようになる病気)や、毛状根病(根っこがやたらと生えてくる病気)を起こすという厄介な細菌です。
もちろん、アグロバクテリウムも伊達や酔狂で植物を病気にしているわけではなくて、病気になった植物の腫瘍状の組織や、毛状根(根が毛のように見えることからこう呼ばれる)でアグロバクテリウムだけが栄養として利用できるopine(オピン、もしくはオパインとも)というアミノ酸群を作らせています。ならば、アグロバクテリウムはどのようにして植物の形態を変化させ、opineを生産させているのか。実はこれ、遺伝子導入によるものなのです。
ここからは話が少し難しくなります。図を参照しつつ、覚悟して読み進めてください。
(ただし、ゆっくり読めば確実に理解できるようになっているはずです)
アグロバクテリウムが植物に導入するDNA領域、これを移動DNA(=T-DNA/transfer-DNAの略)といいます。遺伝子の本体はDNAである、というのはよろしいですよね? このT-DNAは、アグロバクテリウムのゲノムDNA(=生物本体の遺伝情報が入っている大きなDNA。一般にDNAというとこれを指すことが多い)とは別の、プラスミド(細菌などが持つゲノムDNAとは別の小さなDNA。遺伝情報としては必須ではない)の一部として存在しています。
用語解説が入って読みづらくなったかもしれません。すっきりさせましょう。
植物のゲノムDNAに導入されるDNA領域であるT-DNAは、アグロバクテリウムのゲノムDNAとは別の、プラスミドの一部として存在しています。
さて、T-DNAを含むプラスミドのことを腫瘍誘導プラスミド(=pTi/tumor-inducing
plasmidの略)と呼びます。ちなみに根が次々生えてくるのを誘導する場合は、root-inducing plasmidの略でpRiと呼びます。根と腫瘍のどちらを誘導するかはアグロバクテリウムの種類によります。と、これは余談。
このT-DNAが、植物のゲノムDNAに組み込まれて、植物の形態変化、さらには代謝的な変化を起こします。
T-DNAが植物に組み込まれるんだ、というところまではよろしいかと思います。
では、T-DNAはどのようにして植物細胞に移動するのでしょうか。
これにはvirulence proteinと呼ばれるタンパク質が関与しています(virulence=病原性の protein=タンパク質)。
まず、アグロバクテリウムの細胞膜上に存在するVirA(virulence
protein Aの略。病原性タンパク質A ということですね。以下同様にVirB,VirDなどのように略します)が、外界環境中の微量なフェノール類を感知します(植物細胞が傷を負ったとき、フェノール類が放出される)。図で言えば、左上の部分。■がVirAの凹とくっついたところからスタートするんですよ。
そして、VirAはVirGにその情報を伝達し、VirGを活性化します(ひし形のVirGが活性化されたもの。三角形の方はまだ活性化されていない)
活性化されたVirGタンパクはpTiのvirulence領域と呼ばれるVirrence proteinを作る情報があるDNA領域に働きかけて、Virrence
proteinの生産を活性化し、VirD1およびVirD2はT-DNA領域をpTiから切り出します。そのとき、VirD2はT-DNAの端に結合します。
VirBはアグロバクテリウムと植物細胞の連結に関与しています。
VirEはT-DNAを取り囲みます。こうすることにより、T-DNAはDNA分解酵素から身を守ることが出来ます。
T-DNA,VirD2,VirEの複合体をT-complexと呼びます(complex=複合体)。
これは植物細胞核の表面にある核膜孔から、植物細胞核に侵入し、植物細胞のゲノムDNAに組み込まれます。
(図のNPCはnuclear pore complex=核膜孔複合体)。
さて、以上のようにしてT-DNAは植物ゲノムDNAに組み込まれました。
このT-DNAには植物ホルモンを作る、もしくは植物ホルモンに対する感受性を変化させる遺伝子、opineを作る遺伝子が含まれていて、前者の働きで植物の形態が変化し(植物の形態は植物ホルモンの働きで変化します)、後者の働きでopineを生産させられます。
多くの場合、このような遺伝子導入は次の世代に遺伝することはありません。なぜなら、腫瘍や根は次の世代を残す能力は無く、遺伝子変化を起こした細胞もそれらの組織に局在しているからです。しかし、いくつかの種類のタバコのゲノムDNAの一部にT-DNAに酷似したDNA配列が発見されました。
これは、何を意味しているのか。
そう、「天然状態における進化の過程でアグロバクテリウムによる遺伝子導入を受けて、形態変化を起こした植物が、天然自然のものとして存在している。」ということです。
注:この文章の内容で遺伝子操作や、遺伝子組み換え植物の是非を問う意図は無いことを付記しておきます。