これが歴代の南極観測船だ!

担当:裏辺金好


○はじめに

 1956(昭和31)年11月8日、初代南極観測船「宗谷」が、第1次南極観測隊を乗せて日本を出発し、1957(昭和32)年1月に、南極の東オングル島に昭和基地が開設されてから本格的に始まった、日本の南極観測。その多くの隊員たちを運んだ南極観測船は「宗谷」に続いて、「ふじ」、そして今回退役する「しらせ」に続き、2009年からは第2代目「しらせ」が就航します。

 今回は簡単ではありますが、「宗谷」から初代「しらせ」まで、その雄姿を見ていくことにしましょう。
 (*写真は「宗谷」「ふじ」は筆者撮影、初代「しらせ」は、鯛風雲氏撮影)

1.南極観測船「宗谷」(1956年〜1965年/1次〜23次南極観測)

 日本初の南極観測船となった「宗谷」。元々は南極観測のために建造されたものではなく、ソビエト連邦が川南工業松尾造船所(昭和12年より香焼島造船所に社名変更)に発注した3隻の耐氷型貨物船のうちの1つで、1938(昭和13)年に建造されました。船名は「ボロチャエベツ」とされました。

 ところが海軍の要請もあって、結局は3隻ともソ連に引き渡さないことになり、「ボロチャエベツ」は「地領(ちりょう)丸」という名前で辰南(たつなみ)商船という、神戸の辰馬(たつま)汽船と川南工業が共同で設立した民間新会社の貨物船となり、鮮やかな若草色に塗られて運航を開始。様々な会社にチャーターされ、中国へ荷物を運んだり、当時日本領だったカムチャッカ半島近くの占守(しむしゅ)島までカニ工場で使う機材や資材、女工を運んだりしたとか。

 すると1939(昭和14)年11月に海軍は「地領丸」を、老朽化した測量艦の代替艦として買い上げることを決定。東京石川島造船所(のち石川島播磨重工業、現在の株式会社IHI)深川第一工場で改造が行われ、もちろん測量用の設備を備えたり、また8センチ単装高角砲1門と25ミリ連装機銃1基という武装を装備。さらに海軍の船らしく、全体を灰色に塗装しました。

 1940(昭和15)年に改造が完了し、千島列島や樺太(サハリン)の測量を行ったほか、同年に横浜沖で開催された観艦式にも参加し、多くの人の目に触れられました。また、これ以後はさらにサイパン島など南方にも出張。そして真珠湾攻撃に端を発し、本格的にアメリカとの戦争がスタートすると、宗谷は測量のほかにも物資の輸送にも従事しました。

 アメリカの潜水艦による魚雷攻撃や空襲を受けたこともありますが、いずれも宗谷だけは奇跡的に無事で、終戦を迎えました。そして引き揚げ船として改装を受けて引き上げに従事し、1950(昭和25)年からは海上保安庁の灯台補給船として活躍。そして、1956(昭和31)年から1965(昭和41)年まで、海上保安庁の南極観測船として第1次〜第6次南極観測に従事します。


(ブリッジの様子)


(船内の通路の様子)

 南極観測船としては短い活躍期間でしたが、後進の「ふじ」に任務を譲った後も、海上保安庁の巡視船として活躍を続け、退役後の1979(昭和54)年5月から、東京都お台場にある船の科学館前に係留され、永久保存されています。

2.南極観測船「ふじ」(1965年〜1983年/7次〜24次南極観測)

 2代目日本の南極観測船となった「ふじ」。
 日本鋼管で建造され、南極観測が海上保安庁から海上自衛隊にバトンタッチしたため、この「ふじ」は海上自衛隊の砕氷船として誕生しました。全長100m、幅 22m、深さ11.8m、最大速力17ノット。厚さ80cmまでの海氷を連続砕氷可能という性能で、定員は200人+南極観測隊員35名、ヘリコプターを3機搭載することができます。また、毎年500t の物資を運搬しました。

 初代「しらせ」に道を譲って退役後は、1985(昭和60)年から名古屋市のガーデンふ頭に保存展示されています。

 ちなみに、「ふじ」の近くには南極観測に従事した陸上車両も展示されています。

3.南極観測船「初代しらせ」(1983年〜2008年/第25次〜第49次南極観測)

 3代目日本の南極観測船となった「初代しらせ」。やはり海上自衛隊の砕氷艦で、日本鋼管鶴見で建造。
 全長134m、幅28m、深さ14・5m、速力19ノットと、「ふじ」より大型化。自衛艦としても最大級の艦艇であり、厚さ1.5mの海氷を3ノットの速度で連続砕氷することができる高性能。。定員は170名+南極観測隊員60名で、ヘリコプターは「ふじ」同様に3機搭載でき、物資は毎年1000t 運搬するという、「ふじ」の2倍の量です。

 「しらせ」就役により、氷中に南極観測船が閉じ込められ、昭和基地の近くで足止めを喰らい、海外の船に救助を求めるようなことがほぼ無くなり、接岸できなかったのは1度だけ。逆にオーストラリアの船舶を2度救出しています。

 なお、白瀬の名称の由来は公式には昭和基地に近い「白瀬氷河」とされていますが、実際には日本人として初の南極探検をおこなった白瀬矗(しらせるい)陸軍中尉に由来しているといわれています(ただし原則として船名は名所旧跡の名とされています)。まあ、白瀬氷河が白瀬中尉に由来してますので、どっちにしろ同じ・・・ですが。

 さて、長らく活躍してきた初代「しらせ」でしたが2008年に引退。保存先が模索され、名乗り出たところもありましたが、文部科学省は首を縦に振らずに解体が決定されます。様々な事情があったのでしょうが、これまでの2つの南極観測船が保存されているだけに、何とも残念な話です。

4.南極観測船「2代目しらせ」(2009年〜 /第51次観測) *予定

 そして4代目となる南極観測船は、公募の結果「しらせ」の名称を引き継ぐことに。
 全長138m、幅28m、深さ15.9mと、初代「しらせ」より少しだけ大型に。速力は15ノットです。また、定員も179名+南極観測隊員80名と、特に観測隊員が増員され、より多くの研究者を運べるようになります。

 初代「しらせ」が建造された当時と異なり、現在は乗り物から排出される様々な環境汚染原因の物質について規制される状況下、この2代目「しらせ」は海洋汚染を防ぐステンレス外装とし、またフロンを使わず、一酸化炭素や窒素酸化物の排出も減少。さらに、船舶の中で出たゴミを分別の上で圧縮し、格納庫に入れて持ち帰れるようにしています。

 また、これまでの砕氷と異なり、海水を放出し氷の上の雪をぬらし、氷を割りやすくして進みます。これにより、砕氷に伴う燃料を節約し、二酸化炭素の排出量も減少させます。ユニバーサル造船舞鶴事業所にて、2009年5月の完成だそうです。

 なお、第50次南極観測には間に合わないため、オーストラリアから民間砕氷船オーロラ・オーストラリスをピンチヒッターで借りるそうです。

参考文献・ホームページ
マイクロソフトエンカルタ百科事典2007
独立行政法人 海上技術安全研究所「南極観測船しらせ」ってどんな船?
http://www.nmri.go.jp/ocean/jare47/shirase.html
名古屋海洋博物館 南極観測船「ふじ」 http://www.nagoyaaqua.jp/fuji/index.html
かがくナビ 「新しらせ」 環境にやさしい南極観測船 http://www.kagakunavi.jp/topic/show/109
ユニバーサル造船 ただいま新南極観測船(砕氷艦) 建造中! http://www.u-zosen.co.jp/17agb/index.html
国立極地研究所 南極サイエンス基地 http://polaris.nipr.ac.jp/~academy/science/shirase/shirase01.html
文部科学省 「しらせ」の性能等 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/20/04/08040201/001/002.htm
日本財団図書館(電子図書館) 南極観測船「宗谷」 http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00032/mokuji.htm

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