ボーナスの語源や歴史とは?

○解説

 日本では夏季や年末に支給されることが多い「ボーナス」ス (bonus) 。一般庶民には信じられないような金額が出る大企業があるかと思いきや、バッサリとカットされる企業もあったりと、支給時期には悲喜こもごもですが、語源や歴史について簡単に調べてみました。

○語源

 原義はラテン語で「良いもの」「財産」という意味。欧米諸国では能率賃金の一形態として,あるいは業績に対して与えられる報奨金,またはエージェントやセールスマンに対する基本手数料,基本報酬以外に支給される歩合手数料をいう。
(出展元:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

 とのこと。能率賃金の一形態ということで、欧米では標準以上の成果を挙げた労働者への賃金割り増しです。日本では「賞与」ともいい、単に毎月のお給料とは別に支給される一時金としての性格が強く、若干性格が異なります。

○日本初のボーナスは?

 元々は江戸時代、お盆や暮れに、徒弟・使用人に与えた「お仕着(しきせ)/氷代、餅代とも」や「小遣い銭」に由来すると云われます。

 賞与としての最初の記録は、1876(明治9)年に三菱商会(郵便汽船三菱会社)が支給したもの。
 1874(明治7)年7月の台湾出兵に協力し、政府の信頼を得て海運業が急成長を始めた三菱は、上海〜横浜航路や大阪〜東京航路に進出してきたイギリスのピー・アンド・オー社と6か月にわたり価格競争を繰り広げ、岩崎彌太郎社長自身の50%減給宣言や社員の給与の3分の1返上といった経費削減等で対抗。ピー・アンド・オー社を上海航路、日本航路から撤退させることに成功しました。

 これは社員が頑張った結果である、ということで年末に賞与(ほぼ給与1か月分)を支給したのです。ちなみに、毎年支給されるようになったのは、明治21年からだそうです。

【参考】mitsubishi.com(三菱グループ ポータルサイト) 岩崎彌太郎物語vol.20 日本初のボーナス
 

○ボーナス制度の広がり

 さて、三菱に限らず明治維新後に様々な会社が誕生し、その基礎が固まってくると、紡績会社や百貨店などで利益に応じたボーナスが支給。

 昭和に入ると中小企業でもボーナスを支給するようになります。そして、戦後は労働組合と経営者が労使交渉を行い、夏と冬に支給されるのが一般的になっていきます。

 なお、ボーナスは法律上、就業規則や労使協定などに定めがない限り、支給しなければならない義務はなく、必ずしもすべての会社で支給されるわけではないので、要注意です。

(執筆担当:裏辺金好)

↑ PAGE TOP