北海道に1年あった青森県&4年あった「札幌県」「函館県」「根室県」

○北海道に青森県?

 広大な面積を誇る北海道。現在の行政区域になるまで、明治時代には様々な変遷がありました。

 まず1869(明治2)年8月、太政官布告により蝦夷地が北海道という名称に改められ、渡島(おしま)、後志(しりべし)、石狩、胆振(いぶり)、日高、天塩、十勝、釧路、根室、北見、千島の11か国と、その下に86郡が設置されます。

 1871(明治4)年5月に北海道の行政を担う開拓使が函館から札幌へ移転。函館、宗谷、浦河、根室、樺太の五支庁が置かれます。

 そして1871(明治4)年7月14日(旧暦)に廃藩置県が行われると、館藩(旧松前藩)は「館県」となり、それ以外の区域が開拓使の管轄となりました。新規に開拓を進める区域と、江戸時代に藩が置かれていた区域で分離したものと思われます。


 僅か2か月後の9月4日(旧暦)には、弘前県、黒石県、斗南県、七戸県、八戸県と、津軽海峡をはさんで館県が合併し、新しい弘前県が誕生。その2週間後の9月23日に県庁が青森へ移転したことにより青森県と改められ、今では想像しづらいですが、北海道の一部を管轄する青森県が誕生したわけです。

 ところが、電話も満足に整備されていなかった時代なので、青森県庁が荒れ狂う津軽海峡を渡って指示を出すだけでも一苦労。結局、1872(明治5)年10月10日に旧館県は開拓使へ移管され、僅か1年で北海道内の青森県は姿を消しました。


 それから10年後の1882(明治15)年7月に開拓使も廃止され、代わりに設置されたのが「札幌県」「函館県」「根室県」でした。今や札幌市だけでも人口200万人近くいますが、当時の札幌県は何と九州より広い面積にもかかわらず、人口9万8000人!

 函館県も14万1000人、根室県に至っては1万3000人しかおらず、翌年には3県を調整する北海道事業管理局が設置されますが、いわゆる二重行政状態となり、1886(明治19)年1月に3県が合併し、北海道庁が設置されています。

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