将棋にまつわるお話(1)起源と歴史
ども。今回は将棋です。これといった前振りは思いつかないので、早速将棋の起源から見ていきましょう。
将棋と同タイプのゲームとしては、西洋のチェス、それから中国の象戯(しょうぎ 象棋とも)が代表格です。これらと将棋の共通点は、囲碁やオセロと違って、それぞれ機能を持った駒を動かしていくという点にあります。して、その原点はどうやら古代インドのチャトランガというゲームにあると考えられています。これは、4人が交互にさいころを振って駒を動かす、今で言うすごろくみたいなゲームだそうです。これが後に2人用になります。ちなみにチャトランガとは、チャツル(四つ)・アンガ(要素、組、メンバー)を合わせた言葉。左写真がそれ。関西将棋会館のホームページから抜粋させていただきました。すいません。
囲碁同様、将棋も時の実力者に保護されて、初めてプロが登場するようになります。京都の医者にして将棋がべらぼうに強い大橋宗桂(1555〜1634)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康によって召抱えられ、将棋の指導をします。これがきっかけで大橋宗桂を祖とする大橋本家、大橋分家、伊藤家の御三家が幕府に正式に召抱えられ、、交互に世襲で「名人」を輩出することになります。彼らは、年1回11月17日の御城(おしろ)将棋で、将軍の御前で碁を打つのが最大の仕事で、晴れ舞台でした。
ところが、幕府が明治維新で滅亡すると、将棋指しのスポンサーもいなくなってしまい、家元制度は明治26年、11世名人伊藤宗印を最後に終了。一方で庶民の間に人気が根強い将棋は、1924年(大正13)に東京将棋連盟が結成。これが27年(昭和2)に日本将棋連盟(関西の将棋界も合流)、36年に将棋大成会と名称を変更し、日本でただ一つの専門棋士の全国組織となり、これが将棋界をリードします。一方、家元亡き後の「名人」の位は、引き続き有力者が世襲していたのですが、13代名人・関根金次郎の英断で実力制に移行させ、2年がかりでリーグ戦の末、木村義雄(1905〜1986)が新制度第1期名人になりました。
|