古代から瀬戸内の海上交通の要衝として発展してきた鞆の浦にある城。尼子家に対抗して毛利元就が天文年間(1533〜55年)に築城したと考えられている。
毛利元就が尼子氏を降伏させた後、織田信長に追われた室町幕府最後の将軍足利義昭をこの城に迎え、城を拡充。関ヶ原の戦い後、毛利家は防長2ヶ国(山口県)に領土が縮小され、かわって福島正則が広島を本拠とするとともに、この地を領有し、再築城した。
その後、一国一城令によって城は壊されたが、福山藩の町奉行が置かれて、水野家、阿部家が支配した。現在、石垣がよく残るが、積まれた時代によって特徴があり、違いを比べると面白い。是非現地の説明看板を身ながら確認してみて頂きたい。
(写真・本文:裏辺金好) |