この城は室町時代に美濃守護として当地を支配した清和源氏・土岐氏の城である。築城者は第三代守護の土岐頼康。城とは言うが、実質的に御殿であり、また応仁の乱の後は沢山の貴族が移り住んだので、山口と共に小京都として発展。ところが1449年、家督を巡って土岐政頼と鷺山城主土岐頼芸が争い、川手城周辺は灰燼に帰した。
結果、土岐頼芸が勝利し美濃守護の座に就き(おそらく改修した)川手城を使うが、斎藤道三に追い出され廃城となった。