下館城は940(天慶3)年、藤原秀郷が平将門討伐のために上館(久下田城)、中館(伊佐城)、下館の3城を築城したことに始まる。
現在残る下館城跡は、水谷勝氏(みずのや かつうじ)が1478(文明10)年に築城したもので次第に勢力を拡大しながら、水谷氏の支配のまま戦国時代も乗り切った。しかし、江戸時代に入ると備中松山へ転封。ここで嗣子なく断絶し、城受け取りには赤穂藩の大石蔵之助が来たとか。と、これは余談。
さて、水谷氏が去って以降は松平頼重(徳川光圀の兄)が5万石で入城するも、讃岐高松12万石へ栄転。以後は増山、井上、黒田氏と幾度も大名が変わり、明治維新を迎えた。
そのような長い歴史を持つ下館城だが、明治以降は宅地化が進み、部分的に神社として残った本丸以外が往時を偲ばせる(・・・かどうか?)以外は遺構がまるで残っていない。
(写真・本文:裏辺金好)
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