大垣城は1535(天文4)年に、美濃の名門・土岐氏一族の宮川安定が築城したのが始まりといわれる(異説あり)。1585(天正13)年になると羽柴秀吉により、美濃の郷士であった一柳直末が2万5000石で入城。
さらに1590(天正18)年には伊東祐盛が入城し、関ヶ原の戦いでは息子の伊東盛宗が西軍方につき、石田三成を迎え入れた。しかし、決戦の舞台は関ヶ原となり、手薄となった大垣城は東軍によって落城してしまう。
その後、石川氏、松平氏などと城主が代わり、1635(寛永12)年に譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)が10万石で入封。以後、戸田氏による治世が明治維新まで続いた。
その城郭は、三重の堀に囲まれた壮大なもので、天守は1936(昭和11)年に国宝に指定。しかし、戦災により焼失し、現在は古写真にほぼ忠実に外観復元された天守閣や、復元された東門・多聞櫓・艮櫓・乾櫓がある。
ただ、本丸以外は完全に市街化されているのが残念。
(写真・本文: 裏辺金好)