岡の城 おか
     Okano-Shiro ( Castle )
所在地:埼玉県朝霞市岡
最寄駅:北朝霞(朝霞台)駅経由朝霞市循環バス 城山公園下車1分

三の丸跡
公園正門から階段を上り、最初に広がる空間が三の丸跡である。

空壕・土塁
写真だと判断しづらいが、郭を仕切る空壕と土累

 川越街道を池袋方面から川越へ向かって走ると、埼玉県朝霞市を通過する。朝霞市を通過する際は、左手に陸上自衛隊朝霞駐屯地の大規模な施設群が見える事だろう。駐屯地の一角を県立高校と市立小学校が並立している所がある。第四小学校交差点というT字路だ。
 T字路を右折すると城山通りと言う名の道にでる事だろう。城山通りに入って道がすいていれば10分程度で、右際に小高い山が見えてくる。朝霞の『岡の城』と呼ばれる中世の城跡である。
 岡の城は資料などを参考すると浜崎陣屋、峡の陣屋と呼称されている。岡の城と言う名は、この地域に住む人達によって名付けられた呼び名であるという。岡の城の詳しい実体は不詳な点も多く、「郷土史朝霞2」等に記載される内容が最も詳しい資料となる。
 陣屋という呼称については、持ち主の須田家が江戸期を通じて浜崎村の名主を勤めた家であり、維新後に旧内間木村役場が設置された事もある経緯から、江戸期に陣屋が設置された事があるのかもしれない、と語られている。

 岡の城の詳しい築城年や築城者も判ってはいない。
 しかし、この城は縄文期、弥生期の集落も発掘されている経緯や、自然地勢を推測すると、天然発生型の城塞邑が起源であると考えられる。資料などを回読し、この城の成り立ちをある程度推測すると、縄文期、弥生期に集落として発生し天然の要害に守られた非常に堅固な邑は、大和朝廷の影響下に至る頃には地方豪族の拠点として利用され(古墳が周辺に存在する)、黒目側の交易路の要衝として、陸上交易路の要として、発達していったと考えられる。
 平安期に入り、関東に武士勢力がハッキリ台頭した頃になると、地方豪族の末裔たちの手によって、中世の標準的な山城としての設えが施され、やがて関東公方の勢力下に至る様である(太田氏との関係から)。
 川越や岩槻の様な政治的性格の城であるよりは、兵站と経済に重点を置いた城であるという性格は確かだろう。 岡の城趾は現在は岡の城址公園として自然地形を残す形で整備されている。
 その為、一部は造成されている感もあるが、それでも遺構の多くを目にする事が出来る。郭に沿うように掘られた空壕や本丸の際に残る物見櫓の土累痕、公園の周辺にも土累痕や古墳を利用した烽火台の名残等、戦国初頭から中期に於ける大規模な山城の面影を知る事が出来るだろう。
(写真・本文:岳飛@美鈴ちん)
空壕・土塁
こちらも、郭を仕切る空壕と土累
本丸より
本丸から北面の急斜面を望む。手前に流れるのが黒目川。
物見櫓跡
看板奥の木が生えた小山が物見櫓の痕跡土累。
こうした痕跡土累は城の周辺にも散在する。
岡の城 風景
三の丸 2の丸、本丸をはじめとした多くの遺構は、こうした急激な斜面の上に開かれた土地に存在する。