滋賀県大津市(2)石山寺・義仲寺
  Otsu City
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京阪電鉄大津線 石山寺駅
JR東海道本線 大津駅 など
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滋賀県観光情報
びわ湖大津観光協会
石山寺公式ホームページ
弊サイト内:滋賀県大津市(1)膳所城跡
 滋賀県の県庁所在地である大津市は、京都に非常に近いこともあって逆に注目されにくい面がありますが、京都同様に古い寺社や江戸時代の街並みが広範囲に現存しており、一日ではとても回れないほどの魅力あふれる場所です。今回は、日本の城コーナーで紹介した膳所城跡に引き続き、石山寺と、松尾芭蕉と源義仲の菩提寺である義仲寺などを散歩します。
石山寺
 JR東海道本線石山駅から京阪電鉄の大津線(石山坂本線)に乗り換え、終点の石山寺駅で下車。ここから5分ほど歩いた場所にある寺で、奈良時代から多くの参拝客が訪れています。特に、紫式部が源氏物語をここで執筆したという伝承があるほか、藤原道綱母(はは)が書いた「蜻蛉(かげろう)日記」に登場しています。
 境内には未だに鎌倉時代からの建物も残存し、遥か昔と変わらぬ風景を今に伝えています。

山門 [国重要文化財]
 1190(建久元)年築。石山寺の入口で、まずここからして鎌倉時代の建物で、源頼朝の寄進によるもの。なお、慶長年間に豊臣秀吉の側室、淀殿の寄進によって、改築に近いほどの大改修を受けているそうです。

毘沙門堂(左) 観音堂(右)
 山門をくぐってまっすぐ進み、階段を登るとまず見えてきます。

硅灰石 [国天然記念物]
 「石山」の語源ともなった風景。硅灰石(けいかいせき)は、石灰岩が地中から突出した花崗岩(かこうがん)と接触し、熱作用で変質したもの。通常は大理石になるそうですが、ここでは珍しい姿になったそうです。

御影堂 [滋賀県指定文化財]
 石山寺と関係が深い、良弁や空海の遺影(御影)を安置する御堂で、後世の改編もありますが、室町時代初期の様式を残しています。

本殿 [国宝]
 1096(永長元)年築。762(天平宝宇6)年に建てられた本堂が焼失したことから、源頼朝の寄進で、以前の規模のままで再建したもの。正堂と、のちに淀殿が改修した外陣(礼堂)と、2つの建物をつなぐ相の間から構成された複合建物であるのが特徴です。紫式部ゆかりという源氏の間もあります。
 滋賀県で最も古い建物。本尊である如意輪観世音菩薩(国重要文化財)は平安時代後期に造られたもので、33年ごとに公開されるとか。
三十八ヶ所権現社本殿 [滋賀県指定文化財]
 
1602(慶長7)年築。淀殿が外陣(礼堂)を改修・増築する際、併せて造られたと考えられています。

鐘楼 [国重要文化財]
 
鎌倉時代後期築と考えられる、袴腰(はかまごし)付きの美しい建物。寺伝には源頼朝の寄進と書かれていますが、建築様式からすると、前述のように鎌倉時代後期と考えるのが妥当、だとか。
多宝塔 [国宝]
 
1194(建久5)年築(墨書きの銘より判明)。やはり源頼朝が寄進したもので高さは約17m。均整の取れ、軽快なスタイルは非常に美しいもの。
宝印塔篋 [国重要文化財]
 南北朝時代築。この宝印塔篋(ほういんとうきょう)は、源頼朝と亀ヶ谷禅尼の供養塔といわれています。

風景
 多宝塔などがある場所は高台にあり、このように琵琶湖方面を眺めることができます。
風景
 

庭園
 石山寺の山麓(・・・と言うには大げさですが)に広がる庭園も非常に美しいもので、是非見ておきたい場所です。

義仲寺
 さて、今度は場所を変えましてJR膳所駅・京阪電鉄膳所駅から、北に約300mいった場所にある義仲寺をご紹介します。ここは、室町時代に、近江守護の佐々木(六角)氏が、粟津(大津市)で最期を遂げた源義仲を葬る塚をつくり、寺を整備した場所で、江戸時代に松尾芭蕉が訪れ感動し、遺言によって芭蕉もここに葬られました。
 源義仲、松尾芭蕉の墓のほか、芭蕉俳書のコレクションがある粟津文庫などもあります。

入口
 かつての東海道に面した義仲寺。

翁堂

松尾芭蕉の墓
 

源(木曽)義仲の墓
 佐々木氏が造った時は塚だったものですが、その後、このように立派に整備されたものです。

東海道沿いを歩く1
 義仲寺から東の膳所城方向へ、旧東海道沿いを歩きます。

石坐神社本殿 [滋賀県指定文化財]
 石坐神社は、関ヶ原の戦いで西軍が陣を張り、敗北するに及んで火を放ったと言う歴史を持つ神社、おかげで、昔からの記録は灰燼に帰してしまったとか・・・。それでも、1266(文永3)年に建てられた本殿は、現在もこのように残存しています。

和田神社本殿 [国重要文化財]
 表門が、旧藩校遵義堂表門という和田神社ですが、本殿はもっと凄く、鎌倉時代の建立。一間社流造に、桧皮葺の屋根、そして正面には立派な軒唐破風が付いています。


東海道沿いを歩く2
 今度は、先ほどの義仲寺から西へ、日本史に大きな影響を残した大津事件の現場や、脇道にそれて壮大な近代建築である滋賀県庁本館や、さらに京阪電鉄大津線の電車などを紹介します。

大津事件現場
 1891年5月11日、日本を訪問中のロシア帝国の皇太子ニコライ(のち皇帝ニコライ2世)が、警備の巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷した事件の現場が、ここ。日本中がロシアを恐れ、津田を死刑にしろだとか、津田の名字をやめようとか、戦々恐々とする中で、「法律にのっとって裁判をしなさい」と大審院(今の最高裁)の院長の児島惟謙が指示し、無期徒刑(無期懲役)の判決が。これによって、司法権の独立を内外に知らしめた・・・というお話。もっとも、児島が勝手に裁判官に指示したことなど、問題もありますが・・・。

古い家 [国登録有形文化財]
 左写真の反対側にある旧家。この辺りは、かつての東海道沿いで、古い家が今でも数多く残っています。

旧東海道
 

滋賀県庁本館
 1939(昭和14)年築。鉄筋コンクリート造4階建て、塔屋が付いているのが特徴的。中央、そして両脇が大きくなっており、より迫力さを増しています。

京阪電鉄大津線
 今回お世話になったのが、この京阪電鉄大津線。大津市を東西方向に結ぶ石山坂本線(上写真)と、京都市営地下鉄東西線へ直通する、京津(けいしん)線の2つから成ります。

京阪電鉄大津線
 京津線は、地下鉄に直通するほどの通常の鉄道でありながら、浜大津駅付近は道路上を走行します。ちなみに、石山坂本線も、2両編成の電車が浜大津駅付近を路上走行しています。

京阪電鉄浜大津駅/大津城跡
 写真左手は琵琶湖。浜大津駅は、琵琶湖に面した駅で、かつては、豊臣秀吉が築城させ、関ヶ原の戦いで落城した大津城があった場所です。徳川家康は大津城を廃城にし、膳所城に拠点を移したため、今では見る影も無い状態です。