第22回 清の草創期〜ドルゴンと順治帝〜

○今回の年表

1643年 清で順治帝が即位。
1644年 李自成が北京を包囲し、これを占領。明が滅亡する。
1644年 清が北京に侵攻し占領。清の中国支配が開始。
1646年 鄭成功が江戸幕府に救援を求める。
1648年 ヨーロッパで初の国際会議が開かれ、ウェストファリア条約が結ばれる。近代国際法の原点。
1649〜58年 イングランドでオリヴァー・クロムウェルが独裁。
1651年 ドルゴン、死去。
1658年 (インド)ムガル帝国皇帝にアウラングゼーブ大帝が即位。
1658年 (神聖ローマ)レオポルド1世が即位。
1661年 順治帝、死去。

○有能なドルゴンと幼い皇帝だが・・・


 清が北京に入城し、中国の大部分を統一した1644年、皇帝である順治帝(愛新覚羅福臨=フリン)は6歳でした。
 
 歴史家の陳舜臣さんは、「中国傑物伝(中公文庫)」の中で、大帝国の草創期、つまり建国間もない時期に皇帝が幼いというのは非常に珍しい、というようなことを書いています。例えば、漢を建国した劉邦は、皇帝になったとき46歳から55歳(自分の年齢がよく解らなかったらしい)、唐を建国した李淵は、皇帝になったとき53歳、宋の趙匡胤は同じく33歳、明の朱元璋は40歳。

 唯一、似たような例があるとすれば秦の始皇帝。彼は13歳で王位に就きました。しかし、それでも中国を統一したときには38歳です。そんなわけで、この順治帝の例は極めて珍しいことになります。

 もちろん、6歳の皇帝が政治を行えるはずがありません。当然、これを支える強力な指導者がいます。それが、前のページでも少し出てきたドルゴンです。順治帝の叔父で、ヌルハチの第14子。本来、第2代のホンタイジではなくドルゴンを皇帝にしようとヌルハチは考えていた様子もあるのですが、 ヌルハチが死んだ時、まだ15歳だったため、兄のホンタイジ(35歳)が後を継いだという経緯があります。そんなわけで、ドルゴンは非常に野心的な人物でした。

 ホンタイジが死んだ時、皇帝後継者の有力候補である長男のホーゲは、ドルゴンを恐れて皇帝の座に就かなかったと言われます(その代わり、清末期まで一族は厚遇される)。代わって、まだ6歳の順治帝が即位したのは、ドルゴンにとっては自分の思うように出来る絶好の環境でした。なお、ドルゴンの他、ホンタイジの従兄弟であるジルガランも順治帝の補佐をすることになっていたのですが、ドルゴンの勢力の前では無力でした。

 となると、大抵の歴史ではドルゴンがやりたい放題で国が乱れ・・・となるのですが、清にとって幸いにも、むしろドルゴンこそが、清の草創期を牽引する大きな原動力となったのです。さすが、ヌルハチが後継者にしようと考えただけはあります。彼は、南京に出来た明の残党政権が、さっそく派閥争いで腐敗しているのを見ると、「引き続き攻め込めそうだ」として、広い中国を次々と征服し、南京、広州、長沙、四川を領土にします。もちろん、南京の政府は滅亡し、残党勢力は別の場所で抵抗します。

 それから、忘れてはいけないのが女真族の風習である、弁髪の徹底です。これに従わない中国人は処罰されました。こうすることによって、清に従う者、従わない者を区分することが出来たのです。実際、強力な抵抗運動が発生しました。なにしろ、200万人しかいない満州族が、それよりも遥かに数が多い漢民族を中心とする諸民族を支配するのです。清軍が強いうちに、敵は早めに叩いておく必要があります。その一方で、ドルゴンは肉体に加える刑罰を廃止したといいます。アメとムチを巧みに使い分けたのでしょうね。

○順治帝の親政

 しかし、殆ど皇帝に近かったドルゴンも北京占領から7年、1651年に死去します。そして、いよいよ順治帝の親政が始まるのです。彼もまた、非常に有能な人物でした。と、同時にドルゴンに好き放題されたのが我慢ならず、またドルゴンが順治帝の母親を妃にしていたのが許せませんでした。

 これは、勘のいい人ならお解りと思いますが、遊牧民族の風習の1つで、兄が死ぬと、弟は兄の妃を受け継ぐのです。じゃないと、遊牧生活では兄の妃は路頭に迷ってしまいますからね。きちんと保護する人が必要なのです。しかし、順治帝は既に儒教にのめり込んでいましたから、この価値観は理解できなかったのです。まあ、そんなこんなで順治帝はドルゴンが死ぬと、それまで日陰者にされてきたジルガランらの提案もあって、ドルゴン一派を粛清したのです。さらに、ドルゴンの爵位を削り、皇室から除外します。

 ここで、どうして順治帝が儒教にのめり込んでいたか、疑問に思われる人もいるでしょう。それは、女真族に文字がなかたっため、「皇帝とはどうあるべきか」等という教育方法を書き記した物がなかったのです(ヌルハチが満州文字を作ってはいますが)。そうすると、当然中国の古典に学ばないといけません、すると、儒教の教えが沢山出てきます。さらに、多くの女真族は中国統一のために出征していますから、順治帝の周りは漢民族も多かったのです。

 さて、その順治帝は「民を救う」政治を心がけたと言っていいでしょう。 例を挙げますと、
 ・各地の名産品運搬に沿道の住民を駆り出すことを禁ずる
  →これは、特に食品の名産を鮮度を落とさないように、沿道の住民を駆り出して酷使して運搬させていたことです。
 ・織造差催の停止
  →朝廷に衣服を供給するための工場が江寧(南京)、蘇州、杭州の3カ所にあるのですが、
    この品物供給を催促する役人が織造差催です。工場には管理者がいるのに、無駄であると廃止しました。
 ・かく関官員の人員整理(かくがん 「かく」の正しい字は、確の石へんが木)
  →いわゆる、経済官僚です。交易所を仕切る役人なのですが、そこには多くの賄賂などの役得がありました。
    もらう方は嬉しいですが、人民にはたまった物ではありません。これを大幅に減らします。
 ・駅逓差官の不正調査
  →宿場にいる役人のことですが、当時、数多くの軍事作戦が行われる中、宿場は物資運搬拠点として重要でした。
    しかし、役人達は成果を上げるために付近の住民を酷使していたのです。これを取り締まります。
 ・僧侶・道士の納銀免除
  →僧侶や道士になるためには、国家から免許が必要なのですが、この時に政府に銀を払っていました。
    順治帝は、金で宗教職を買うとは何事だ、とこれをやめます。国家財政にとってはマイナスですが
    もうお解りのように、理想主義者の順治帝には耐えられないことでした。
 ・裏社会の摘発
  →当時の北京では、李応詩(別名:李三)を中心とする、今で言えばマフィアのようなグループがいました。
    彼らは役人達とも結びつき、彼らを捕まえようとするものなら、捕まえた役人に対し、あらゆる報復を行います。
    ゆえに、明の役人も、清の役人も手出しをしなかったのですが、たまたま別件で逮捕されていたのを機に
   順治帝は「いいから殺せ!」と 報復が起こる前に即座に一派を処刑しました。
 ・おべっかを使うな、直言を求む
 ・宦官は政治に関わるな。役人と関わった者は死刑(実際に執行された)。
  →そのため、清では本当に宦官は政治に関わらなくなりました。

 この他、この時代に起こった出来事については後で述べるとしまして、順治帝はなんと24歳で亡くなったのです。この短い治世の間に、基本的にはドルゴンが作ったレールを忠実に継承し、さらに自らの理想を取り入れた政策を出し、多くの反乱を鎮圧し、さらに漢民族を多く登用し、清の基礎を作ったのです。恐るべし、としか言いようがありません。

○本当に死んだのか?

 ところで、順治帝は実は死んでいない、出家したのだ、という説が当時からありました。説と言えば、どうせ怪しい・・・と思われるかもしれませんが、状況証拠から考えると、かなり有力な説です。ちょっとその話をしましょうか。

 まず、当然ですが彼は結婚します。それは14歳の時、母親の弟の娘、つまり従兄弟との結婚です。が、順治帝はこの女性を愛しませんでした。一方、後宮で董氏という女性に熱烈な恋をします。そこで結婚から2年後、皇后を廃します。で、その女性を皇后にしようと考えたのでしょうが、身分の低い女性だったので夢かなわず、また別の女性(やはり母親の一族の人間)を皇后にすることになります。ただし、そのかわり董氏を「皇貴妃」と呼ばせることを、周囲に納得させました。

 不満は残るものの、ある程度の希望が達成できて喜んだ順治帝。
 ところが、董氏は病死してしまいました。そして、その4ヶ月後、順治帝も後を追うように亡くなったのです。そして、息子で8歳の康煕帝が即位するのですが・・・・。

 どうも、順治帝は悲しみのあまり現実世界を捨て、五台山清涼寺の僧になったとか。とはいえ、こんな事がばれたら皇帝の威信に傷が付くので、清の政府は記録から必死に消し、記録されないようにします。ところが、この五台山清涼寺という仏教の寺に、朱子学好きで仏教嫌いの息子・康煕帝がある時期まで5回も訪問し、それ以後はパタリと行かなくなった・・・。ということが、解っています。つまり、オヤジが生きている間は、色々な相談をしに訪問をした、そう考えられるわけです。おそらく、そうなんでしょうね。

 それから、多くの改革を断行し、さらに漢民族を登用し、儒教に傾倒した順治帝に対する非難も満州族から起こっていました。ただのラブストーリーではなく、だいたいのことはやったから、さっさと引退しておこう、そう順治帝は考えたのではないでしょうか。

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