第3回 ポリスの登場とその社会

○ギリシャのポリス


 前8世紀、ようやく混乱が収束するにつれ、ギリシャの人々は小さな集団による集落を作っていきました。元来、ギリシャは山岳が多かったため、散在している平野ごとに自治をはじめていきます。

 基本形体としては、集落の中心には広場(アゴラ)を、そして小高くなっている丘には神殿(アクロポリス)を配します。また、集落の市域は城壁で囲まれ、その外で農耕が営まれました。
 これはその後、彼らが植民したシチリア島など、平地においても同様の形を取りました。おそらく、ギリシャ人達は小さな集団に適した政体に慣れてしまったからでしょう。

 このポリス間同士では戦争が絶えませんでしたが、しかし彼らは共通の言語を使用し、またポリス同士の同盟、さらにホメロスの詩などの文学、デルフォィのアポロン神の神託といった文化を共有。この頃から、自分たちを「ヘレネス」、異民族を「バルバロイ」と区別し、差別を始めます。そして、次第に人口も増え始め様々な地域へと植民活動を始めます。

 いずれのポリスも当初は王、そして高価な武器で国防を担う貴族が平民、そして奴隷を支配する都市国家でしたが、平民に実権が移ってゆきます。その理由を集約すると、大体こんな感じになります。

 ・前7世紀に小アジアのリディア王国貨幣が鋳造されるようになり(それまでは、鋳造という形できちんと大きさ・財状が定められた貨幣はなかった)、交易が盛んに(安心して取引ができますからね)。これを利用し、平民の中にも富裕になる者が現れた。

 ・工業の発達により武器の価格が安くなった。富裕になった平民の中には武具を買い、貴族の特権だった国防の世界に進出するようになった。そして彼らは重装歩兵部隊を組織し、軍隊の主力に。8列の横隊から成る密集隊による戦法が確立した。それまでは、貴族達が一騎討ちのように戦っていたが、これは話にならなくなる。

 と、なるとポリスを守るのは平民達。必然的に平民達はポリスでの参政権を要求するようになり、そっぽを向かれるわけに行かないので貴族もだんだん認めていかざる得なくなる。

 こうして平民達はポリスの実権を握ってゆくことになります。
 しかし、それでもすぐに実現したわけではありません。ポリスの一つ、アテネを例に見てゆきましょう。



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