ジル・ド・レイ──中世フランス救国の英雄から快楽殺人者へ

担当:八十八舞太郎

○はじめに
 有名どころと比べるとやや知名度が劣るのですが、童話に「青ひげ」という話があります。
 これは詩人であり童話集の編者であるシャルル・ペロー(仏・1628〜1703)が執筆した話で、いくつかの童話の例に漏れずホラー的要素を含んだものです。あらすじを簡潔に記すと…
 その風貌から「青ひげ」と呼ばれていた金持ちの男が、とある美人姉妹に求婚し、妹を娶ることになりました。ある日外出することになった「青ひげ」は妻に鍵の束を渡し、
「どこにでも入っても良いけど、この鍵束の中で一番小さい鍵の合う部屋に入ってはならない」
 と言い残して出かけていきました。
妻はその言いつけを守っていましたが、好奇心に負けてついついその「小さい鍵の部屋」を開けてしまいました。

 そこに広がっていたのは、地面に血がこびりつき、壁には「青ひげ」が以前迎えた妻の無残な死体が5〜6体壁に立てかけてあるという凄惨な部屋でした。そして妻は直後に帰ってきた「青ひげ」に殺されそうになりますが、偶然立ち寄った二人の兄によって助けられ、「青ひげ」は兄に殺されます。「青ひげ」には子が居なかったので妻がその財産を受け継ぎ、兄や姉たちと分けた…ということです。

 …子ども相手に語るには少しおどろおどろし過ぎる内容で、また最後が実に「デウス・エクス・マキナ」的突飛な展開であり、どちらかと言えば大人向きとも思えるちょっと不思議な童話です。しかしこの話は単なる創作ではなく、幾つかの童話で見られるように「実際にあった出来事をモチーフにして創られた」ということなのです。

 そのモデルとされている人物が「ジル・ド・レイ(『ジル・ド・レ』、『ジル・ド・レェ』とも表記)」。救国の英雄となりながら、放蕩と性的倒錯の内に身を窶していった、稀代の惨殺者です。

 彼の性的満足を満たすため「だけ」に捕らえられ、無残に殺されていった「少年」達の人数は、一説には一千人を越えると言われています。あ、BGMにALI PROJECTの歌「人生美味礼讃」を用意するともっと雰囲気出るので、持っている方はご用意を。

○生い立ち
 ジル・ド・レイ(Gilles de Rais・1404〜1440)は1404年にフランスに生まれました。
 両親ともに名立たる貴族の名門だったのですが、ジルが幼い頃に共にこの世を去ってしまった(母は別の人と再婚したという説有)ため、彼は母方の祖父の元で育つことになります。

 この祖父…ジャン・ド・クランは、二流小説に出てくるようないわゆる「典型的悪代官」といった赴きの、富と権力に目がない強欲な悪徳貴族で、彼に少なからぬ悪影響を及ぼした…と後にジルは語っています。そして、ジャンはジルを「新たな富と権力を手にするための手駒」の如く扱い、いずれも父が早世した名門の貴族の娘たちと次々と結婚させて(その中には自身の親戚も含まれていたそうです)いきました。

 …そんな最悪とも言える環境の中で不思議だったのは、ジルは当時にしては珍しく学問に精通していたということです。彼の弟が自分の名前すら満足に書けない(当時はそんなに珍しくないことだったそうです)中、ジルは語学に通じ、また常に書物を持ち歩いていたほどの文芸愛好家でもありました。

 この一種天才的とも言える学究肌が、後になってあのような恐ろしい形になって発露するとは、この時に誰が思っていたでしょうか。

○救国の英雄
 当時のフランスはイングランドとの戦争(百年戦争)の真っ最中だったのですが、劣勢甚だしく国の存続も危ういような状況でした。そこに登場したのがかの有名なジャンヌ・ダルク。オルレアンでの戦闘に勝利したのを機に、彼女を旗頭としたフランス軍は勢力を盛り返します(この辺りは別に「歴史研究所」で詳しく御覧下さい)。

 この時ジャンヌに託されたフランス軍の指揮官であったのが、誰であろうジル・ド・レイその人でした。彼はジャンヌと共に勇猛果敢な戦いを見せ、ついにオルレアンをイングランド軍から解放します。次いでオルレアン近郊のジャルジョー、ボージャンシー、パティと転戦し各地で英軍を撃破、当時の王太子シャルルは晴れてフランス国王シャルル七世となり、ジルはフランス軍の元帥に任命されます。

 彼はジャンヌの懐刀となり、「影の形に添うように」献身的に仕えます。
 その様は一種「崇拝」的にも感じられるほどに。

 1432年に祖父のジャンが死亡し、彼の莫大な財産は全て彼の元に帰します。彼の財産は年間3万リーヴルの収入、更にフランス元帥としての2万5千リーヴルの年金、合計約6万リーヴルという凄まじい額です。名門である彼の親族が年間6000リーヴルというから、今で言えば大臣級の人の収入の10倍はあったということになります。

 更に細かく調べると、当時の主食であったパンが「5ドゥニエ(1リーヴル=20スー=240ドゥニエ、と言われています)で約1.5〜2kg購入できた」ということのようです。

 それを元にすると、単純に割り算して1ドゥニエでは大体3〜400gのパンが購入できたことになります。手元にあるパンが350gで約150円しました。これを1ドゥニエの値段と(強引に)仮定すると、彼の年収は150(円)×240(ドゥニエ→リーヴル)×55000(ジルの年収)=1980000000(19億8000万円)

 …日本の内閣総理大臣の年収が約4100万円だということを考えると、個人の収入としては想像を絶する凄まじい額です。課税ということを差っ引けば、一生働かなくても暮らせる額かも知れません。
(正確には今と当時との物の価値の差や、製造地によるコインの価値の差、当時金型の改鋳が相次いだことにより価値がめまぐるしく変わったので、正確な数字ではありません。とりあえず「信じられない程の大金」くらいの認識ほどで良いでしょう)

 ともかく、彼はフランス国内でも有数の財産を持つことになりました。この時ジル・ド・レイはまだ28歳。このままフランス元帥として、「救国の英雄」として(おそらく後世に名を残せたであろう)尊敬され、幸福な生涯を送る…筈だったのです。

○狂気的な濫費…没落
 祖父の死により莫大な財産を受け継ぎ、僅か28歳にして金銭的、名誉的に最高のものを手に入れたをジル・ド・レイ。しかしこの時から、常軌を逸した彼の浪費生活が始まります。

 その濫費ぶりは凄まじく、例えばある行事の為にオルレアンに滞在することになった時も、僅か数日の滞在で8万エキュ(1エキュ=3リーヴル)を使い込み、これは彼の年収の大半に相当する額を使い切ってしまう、というものでした。当然この狂気的な出費により彼の財政はたちまち逼迫してしまうのですが、それを補充する為になんと自分自身の持つ領地や城を借金の担保にするという有様でした。

 この乱行に脅えた家族は国王に財政干渉を嘆願するのですが、腹を立てたジルによって監禁されてしまいます。

 結局、1435年に国王からの命により、ジルは禁治産(日本の民法では、今で言う「制限行為能力者」)、すなわち精神上の問題により単独で事理を弁識する能力を欠く状況ににあるもの)に処せられ、一切の財産管理を行うことが出来なくなってしまいます。また1430年にはジャンヌ・ダルクが「魔女」として火刑に処されており、彼女に付き従っていたこともありジルは軍隊内における地位も失ってしまうことになります。

 こうして彼の手元に残ったのは、僅かばかりの財産と城、そして「救国の英雄」ではなく「禁治産に処された哀れな没落貴族」という肩書きのみになってしまいました。これを機に、彼は現世からかけ離れた暗黒の世界…妖術や錬金術といったものに更にのめり込んでいくことになるのです。
※「錬金術」というのは漫画やアニメに登場する単なる空想の産物ではなく、きちんと体系化されているれっきとした当時の「学問」です。

 その命題は「卑金属を金に変化させること」、果ては「肉体や魂といった『生命そのもの』を生成、練成する」といったものでした。突飛もない話のようですが、これはアリストテレスの述べた「全ての物質は『火』『水』『土』『空気』の四つの要素によって構成されている」という「四元素説」を根底とし、
「物質を生成している構成を変えれば、卑金属でも金に変化させることが出来る」
 という理屈の上に立ったものでした。

 また、これは「万物は元素から成り立っている」という、今の「化学」の基本的な考え方と同様であり、実に錬金術こそ「原始化学」とでも言えるであろう、当時最先端の学問だったのです。実在した有名な錬金術師として、ジルの生きた時代から少し後に登場した医者のパラケルスス(Paracelsus・1493〜1541)が居ます。



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