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第114回 公共交通を考えよう(1)
日本の路面電車の現状

担当:裏辺金好

●豊島区・荒川区(東京都交通局)
 1911(明治44)年8月20日開業。かつて東京都内を縦横無尽に走っていた都電最後の生き残り。
 現在残っているのは、総称して荒川線(三ノ輪橋〜早稲田)と呼ばれる12.2kmで、意外と路線の距離は長く、160円均一運賃で運転中。ホームを高くすることによって、車両とホームの段差を無くしているのが特徴。ホームと地面の間はゆるやかな坂になっており、車椅子でも、ほぼ安心して乗ることが出来る。また、ホーム全てに屋根が付き、付近の地図や名所案内まで整備。
 路面電車ではあるが、路面を走るのは王子駅前、大塚駅前付近の一部のみ。他は専用軌道(ただし、あくまで車道と完全に分離されてるだけで、道路の中心を走る。やはり路面電車としての要素が強い)。
○問題点
 大きな問題点はなく、乗り降りもしやすい。
 ただ、終点の三ノ輪橋、早稲田双方ともJRの駅からかなり離れており、特に早稲田はJR高田馬場駅への延伸によって利便性の向上が求められる。王子駅前もJR王子駅と直結しているわけではなく、横断歩道を渡らないといけない。このあたりの整備が今後求められるだろう。また、併用軌道内は車の進入が可能で、狭い道路という構造上やむを得ないが、あまり好ましいことではない。
 また、これは喜ぶべきことだが乗客が多く、車内が非常に混雑する。本来であれば連接車両の導入があってもいいと思うが、設備の大幅な改修が必要になるため、これは難しいか。

世田谷区(東急電鉄)
 1925(大正14)年1月18日開業。
 路面電車とは言うが、実際には一切路面を走るわけではない。しかし、れっきとした路面電車タイプの車両が走っている。
 東京急行電鉄世田谷線は、自社の田園都市線三軒茶屋駅から、京王電鉄の下高井戸駅を結ぶ5kmの路線で、元々は渋谷〜二子玉川を結ぶ自社の路面電車・玉川線の支線であった。
 その後、人口の増加によって路面電車の玉川線では乗客と車をさばききれなくなり廃止。一方、今の世田谷線は全線専用軌道で、ほどよい沿線人口だったために生き残ったのである(現在、玉川線のルートは地下化されて東急田園都市線となっている)。
 好調な経営を続け、黒字。また、都電荒川線同様にホームを高くすることによって、車両とホームの段差を無くしているのが特徴。また、日本初の非接触式ICカード「せたまる」を導入。ポイント還元も付くという、特徴的なシステムである。
○問題点
 特にないが、東急グループでありながら、首都圏の殆どの私鉄で使えるパスネットカードが使えないのが残念。

豊橋市(豊橋鉄道)
 1925(大正14)年7月14日開業。
 名古屋鉄道グループの豊橋鉄道が運営する路面電車で、東田本線(あずまだ)5.4kmの路線を持つ。
 路面電車見直しの動きが少しずつ高まる中、1998年に旧・建設省の支援により、豊橋駅前の電停を、それまで駅から離れていたものを延伸し、駅と直結。大幅に利便性が向上し、高い評価を受けている。また、架線のセンターポール化などによって街の景観改善にも一役買っている。ちなみに国道1号を走る全国唯一の路面電車。
 また、車両は名古屋鉄道と東京都電から譲渡されたもの。
 ラッシュ時は5分、それ以外の時間は7分と運転本数は多い。
○問題点
 福井鉄道同様、廃止になった岐阜・名古屋鉄道の路面電車を大量導入し、旧型車両を一掃。超低床車両(LRV)も登場し、大幅にイメージを変えた(07年度にはオリジナルのLRV車両を導入予定)。しかしその一方で、末端区間では安全地帯が無く、道路上で直接乗降する区間が残る。こうした箇所の改善が残る課題だろう。実際、これから5カ年計画で様々な改善が予定されており、非常に期待できる。
(撮影:右写真のみデューク)

岐阜市(名古屋鉄道) *廃止
 1911(明治44)年2月11日開業。2005(平成17)年3月31日廃止。
 最後は岐阜市内線(岐阜駅前〜忠節)の約4Kmと直通する揖斐線(忠節〜黒野)の約15Km、美濃町線(徹明町〜関)の19Km、田神線(田神〜競輪場前)の約1.5Kmが存在と、広範囲にわたって路線が残存していたが、これでも既に大幅に路線が廃止されていた。
 さらに名古屋鉄道が経営から撤退することを表明し、岡山電気軌道が引き継ぎを申し出たものの、岐阜市長の意向で廃止が決定。 大正時代から走る車両や、超低床車両など、実にバラエティ豊かな車両が走っていたが、見納めになってしまった。
○問題点
 もはや廃止ということで改善の余地無しとなったが、最大の問題としてホームがないと言うことである。道路上に緑色に塗られた部分から、自動車がいない時を見計らって電車に飛び乗るような形となる。これで今まで存続をしてきたのが不思議なぐらい。本数も少なく、お世辞にも気軽には乗れなかった。
 それでも名古屋鉄道は連接車や、超低床車両の導入などを進めていただけに、路面電車完全廃止には岐阜市による公共交通切り捨ての疑念もある。ついでだから名古屋鉄道そのものも圧力をかけて岐阜市から一掃してしまってはどうか。きっと車だけの素敵な社会になるだろう。
 冗談はともかく、岐阜の路面電車廃止については、改修費、維持費がかかるの一点張りで、大した路線再生へのシミュレーション等が議論されなかったところに問題がある。しかし、道路だって維持費や要望があれば拡幅などの改修に多額の費用が出費される。なぜ鉄道だけ、目先の赤字にとらわれて廃止ありきで議論が先行したのだろうか。
 廃止にするのは容易だが、一度失われたインフラを再生するのは非常に困難である。岐阜市役所の方々は、こうした点を考慮した上で廃止という決定を下したのだろうか。疑問だらけの廃止劇であった。

大津市(京阪電鉄)
 1912(大正元)年8月15日開業。*京津線
 京津線(御陵〜浜大津)7.5km、と石山坂本線(石山寺〜浜大津〜坂本)14.1kmの2路線からなり、滋賀県の大津市を走る。路面を走るが車両は鉄道型。さらに、一部は京都市営地下鉄東西線に直通するという、かなり面白い形態である。
 もっとも、路面なのは両線が合流する浜大津付近のみ。福井鉄道と違って、浜大津駅は橋上駅でもある。
 ちなみに、このように現在では路面電車色がかなり薄くなっているが、京都市営地下鉄東西線開業前までは京都市内でも路面を走っていた(現在は廃止となり、地下鉄直通に)。
○問題点
 とにかく経営が苦しい。最近、分社化も検討されたが、今のところは京阪電鉄本体の運営で推移している。地下鉄との直通で利便性も高まったはずではあるが・・・。JR大津駅の側を一応通るが、距離が離れており、そもそも駅がない。今更難しいが、建設する時にもう少し考えた方がよかったかも(もっとも、隣駅の膳所駅、さらに隣の石山駅では接続し、むしろ立派なぐらいである)。
 とは言え、決してインフラ部分は悪くないだけに、こうなると沿線に集客力のある施設が出来るのを期待するしかない。
(撮影:武蔵野通信局)

京都市(京福電気鉄道
 1910(明治43)年3月25日開業。
 京都市西部を走り、嵐山本線(四条大宮〜嵐山)7.2km、北野線(帷子ノ辻〜北野白梅町)3.8kmの2路線。
 嵐山本線は、四条大宮で阪急京都線と接続し、三条口のあたりから路面を走る。その後、専用線を走ったり、路面を走ったりを繰り返し、嵐山へ。北野線は、ほぼ専用軌道。
 東京都電などと同じく、ホームを高くすることによって車両との段差を無くしている。運賃は200円均一。
○問題点
 沿線の観光資源にも恵まれ、特に大きな問題はない。
 ただ、京都市中心部に直通しないため、今ひとつ利便性に欠けるのも事実。また、200円という運賃は少し高いような気も・・・。



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