○1982年2月7日〜11日 受験ついでの九州行 どっちが本来用務なんだ!
▼4日目(2月10日)
この日は、遂に乗り潰し屋泣かせの筑豊地区に突入します。そのプランは早稲田大学鉄道研究会が出していた新書本に掲載されていた行程をそのままパクらせて頂いたものでした。前日までは、そのプランから漏れてしまっていた路線の"落ち穂拾い"をしていたようなもので、初日の篠栗線〜日田彦山線や前日の盲腸線巡りは、その最たるものでした。流石に疲労から来るモチベーションの低下及びフィルム残コマ数、入場券を買うべく節減を重ねたひもじい食料費が原因の気力低下等々により、あまり良い写真がありませんが今暫くのお付き合いを・・・
前日の23時に長崎駅を出発した列車は、早暁5時1分に原田駅着
5時16分原田駅発の門司港行き始発に乗ります。
1982.02.10 DD51-731 鳥 2832レ/筑豊本線原田駅
2832レは飯塚駅6時1分着。上山田駅発の4720レを併結します
私は飯塚駅発6時15分の上山田線721レで上山田駅へ6時43分着
7時24分発の623Dまで時間があるので折り返し列車を撮影
駅裏の団地は、確か上山田線の乗客増を目論んで市が建てたものではなかったか?
1982.02.10 DE10-120 直 722レ/上山田線上山田駅
雑多な気動車の混成編成は新飯塚行きの列車
1982.02.10 キハ58-753 所属不明 622D/上山田線上山田駅
私が乗るのはキハ20による623D豊前川崎行きのチョン行
1982.02.10 キハ20-448 所属不明 623D/漆生線上山田駅
豊前川崎駅に7時44分着で、直ぐに51分発624Dで折り返し
上山田駅からは漆生線に入りました
上山田駅で出会った編成が新飯塚駅から折り返してきて再会します
1982.02.10 キハ35-36 所属不明 625D/漆生線漆生駅
漆生線は下鴨生駅で後藤寺線に合流します
写真は修学旅行用車両を先頭にした後藤寺線の列車
1982.02.10 キハ28-801 所属不明 2537D/後藤寺線下鴨生駅
列車は新飯塚駅で博多からの若松行き2826Dに併結されて直方駅まで送られます
私は2826D本体へ乗り換えて中間駅へ行き、香月線を往復しました
2826Dもそうですが、通勤時間帯を終えたこの時間帯の列車は
直方気動車区への回送を兼ねており長大な編成となっていました
1982.02.10 キハ28-802 所属不明 2833D/筑豊本線中間駅
乗車するのは若松駅始発の127Dはキハ35の2連!
『あっちは急行型が連なってるのに』と怒りを覚えました(笑)
1982.02.10 キハ35-172 所属不明 127D/筑豊本線中間駅
長大編成が多量の紫煙と轟音を響かせながら発車していきます
1982.02.10 キハ67-7 所属不明 2833D/筑豊本線中間駅
駅回りには宅地が結構あったように記憶しています
1982.02.10 キハ35-172 所属不明 126D/香月線香月駅
駅奧の石炭積込施設の跡。保存されたという話もあったやに記憶してますが、
さてさて、今はどうなってるんでしょうか?
1982.02.10 キハ35-98 所属不明 127D/香月線香月駅