1984(昭和59)年11月15日〜17日 妻線と宮原線(第4回瀬野八の続き)
【 11月16日(金) 】つづき
有人駅で入場券を買う間合いを取って頂きました
駅員さんが気を遣われて日付印は最終日です
それにしても凄い背景です・・・(愕)
キハ40-2038 分オイ 227D/久大本線恵良駅
ダイヤに余裕があったのかゆっくり撮影できました
あまりにも凄い早着をしたのかも知れませんね(笑)
キハ40-2038 分オイ 227D/宮原線麻生釣駅
今なら秘境駅として賑わったかも知れません
キハ40-2038 分オイ 227D/宮原線麻生釣駅
終着です
熊本県側から大分県豊後森への流動はあったんでしょうか
キハ40-2038 分オイ 227D/宮原線肥後小国駅
蒸気機関車用の給水塔も残されていました
キハ40-2038 分オイ 227D/宮原線肥後小国駅
5分間の折り返し時間でテキパキ撮影(笑)
キハ40-2038 分オイ 227D/宮原線肥後小国駅
駅を出ればいきなりの上り勾配です
キハ40-2038 分オイ 227D/宮原線肥後小国駅
地元の方と思しき利用者もいらっしゃいます
キハ40-2038 分オイ 227D/宮原線肥後小国駅
女性の事務員さんも出発を見送られました/宮原線肥後小国駅
この日の最終列車は通学列車のようでした/宮原線北里駅
北里柴三郎博士の出身地の駅です/宮原線北里駅
既に日が落ちて真っ暗です/宮原線宝泉寺駅
「さよなら宮原線」の看板が哀愁を誘います/宮原線宝泉寺駅
無人駅にも惜別の看板が・・・(涙)/宮原線町田駅
大分・熊本の県境を含め、沿線一帯は杉の名産地として知られていました。しかし、この年の台風により尋常ならざる被害を蒙ったことが報道されていましたが、宮原線を乗車して被害の大きさを乗客は目の当たりにすることとなります。
そこには新聞報道等のとおりの息を呑む光景が広がっていました。若い杉が根元から根こそぎ倒れていたのです。それも山全体が!殆どの乗客が「おぉっ!」という声と共に深い溜め息が漏れ、そこで息が止まってしまう。そんな衝撃的な光景でした。
杉林で覆われていた筈の山が倒木の山と化して、その御陰で遠くまで見通せる、その光景が廃線の寂しさと共に心に強く残っています。