2014年8月30日・31日 香川・高知・愛媛で撮り鉄の旅


新年と夏に開催している裏辺研究所のオフ会。夏のネタは例年、東北ネタが多かったので、今回は目的地を四国に設定。メインは2007年9月に喜多見隊長と行って以来の高知県でございます。あれから7年ですか・・・。 さて、まず小田原から喜多見隊長と新幹線に乗り込み岡山駅へ。 500系新幹線はいつ見ても格好いいです。

そして、何となく岡山駅前に出てみると、岡山電気軌道のタマバスが。そして、岡電名物の「すみません回送中です」の表示が・・・。

これといった意味はありませんが、路面電車も撮影しておきます。

JR岡山駅を噴水と一緒に。駅近くではイオンモール岡山が12月オープンを目指して開発が進んでいるほか、いよいよ路面電車の駅前広場延伸に向けて検討が始まっており、周辺の風景も大きく変わることでしょう。

さて、快速「マリンライナー」車内でリン所員、ネオン所員と合流して四国へ上陸。これまで通過するばかりで下車したことのなかった、坂出駅に着きます。そして、ゼニガタ所員、秩父路号所員、鐡所員と合流し、荷物をまとめてゼニちゃん手配のレンタカーに乗り込みます。

向かった先は単なる駅の反対側。徒歩で行くべき場所でしたが、偶然にも美しい日本庭園と邸宅を発見してしまいました。これは、香風園という日本庭園で、坂出の実業家・鎌田勝太郎の別邸として1911(明治44)年に造られたものです。

その西隣が以前から気になっていた近代建築。1922(大正11)年に建てられた旧鎌田共済会図書館(現・鎌田共済会郷土博物館)です。建物は国の登録有形文化財に指定されているほか、高松藩に仕えた洋学者で発明家の、久米通賢に関する資料群が国の重要文化財に指定されています。 中に入ってみたい気持ちはありましたが、目的が高知ですので先に行きます。

だがしかし、もう1つ行ってみたい場所がありました。それは、香川県善通寺市にある陸上自衛隊善通寺駐屯地資料館です。そのうちホームページで紹介しますが、60式装甲車や61式戦車をはじめとする陸上自衛隊の車両群や・・・。

F−86DやV−107Aなどの航空機も多数展示されています。

また、帝国陸軍第11師団の司令部として1898(明治31)年に建てられた通称「乃木館」が資料館として公開されています。愛称の由来は、初代師団長が乃木希典であったことから。日露戦争に関する貴重な資料が多数展示されています。

小ぶりながらも、威厳のある雰囲気の内部です。

また、隣接する建物もなかなか風格のある木造建築でした。

そしてちょうど昼の時間になったので、四国学院大学前の「うどん屋」で讃岐うどんを食します。食事にも手を抜きませんぞ。

うどん県で「うどん」を食べたのち、高知県に高速道路で向かうと、実は愛媛県と徳島県も通過することになるそうな。というわけで、一気に四国四県すべてに足を踏み入れ(?)、高知県南国市にあるJRと土佐くろしお鉄道の後免駅に到着します。 ここで先に土佐国へ入国されていたデューク所員と合流しフルメンバーに。

そして、駅の跨線橋から9640−11「手のひらを太陽に」号を撮影。

そして、ここに来たら「ごめんごめんごめん・・・」ですので。

ゼニガタ所員&所長のコンビで、アンパンマン師匠に日頃の無礼を深く謝罪しておきました。鐡さん、写真借りましたよ〜。撮影ありがとうございます。

ここからは、通常塗装の9640形に乗って終点の奈半利駅をめざします。

なかなかの高規格路線で、特急が走っても良いような感じ。

のいち駅ではJR四国の1000形と列車交換します。

さらに、こんな風景や・・・。

このような美しい風景も。なかなか景色の変化にとんだ楽しい路線です。

赤岡駅では9640形と交換。

球場前駅を通過。駅前には阪神タイガースのキャンプ地としてお馴染みの安芸市営球場と多目的体育館「安芸ドーム」があります。公共交通機関の目の前に、こうした施設があることは良いですねえ。

さらに安芸駅へ入線すると、本日の出番を終えた9640−2Sがいました。 きちんとした形で撮影したかったのですが、車内からの写真で諦めます。

9640−1Sや阪神タイガースラッピング列車もお休み中。う〜む、残念。

仕方がないので下山します。・・・じゃなくて。

終点の奈半利駅に到着しました。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線、初乗車にして完乗でございます。

そして来た列車で引き返して、後免駅の1つ手前である後免町駅で下車。 ちなみにこちら、「ありがとう駅」の愛称がついています。 しかし残念ながら(?)愛称では・・・。「ごめん」のインパクトの方が強いですね。

それでは今度は、土佐電鉄に乗車します。

土佐くろしお鉄道の後免町駅は、土佐電鉄と接続しているため、ここで乗り換えます。ちなみに10月1日から、土佐電気鉄道株式会社、高知県交通株式会社、土佐電ドリームサービス株式会社が経営統合し、とさでん交通株式会社に変わるため、土佐電鉄としての姿はもう少しで終了となります。

沿線で撮影したい場所が色々とあったのですが、日が暮れてきたので途中下車は行わず、高知城前で下車します。

ここで降りた理由は、もちろん高知城の散策。Oh・・・リョーマの休日ですか。

やって来ました高知城!久しぶりでございます。 天守閣と大手門がセットで撮影できるこのポイントはお気に入り。塀も残存しているので、引き締まった感じがしますね。

ちなみに今回のブログではかなり自粛しておりますが、所長を筆頭に旅行の最初から異様なテンションで突き進んでおります。 ここでは所長を筆頭に、なぜかジャンプした瞬間を撮影するという遊びに突然ハマりはじめ、こんなことに。この2人が誰かについては、敢えて書きませんが見事でございます。いやあ、まるで合成写真のようだ。

さすがに天守閣に入ることは出来ませんでしたが、間近で見ておきます。石垣が高く、迫力満点。う〜む、せっかくなら久しぶりに中に入ってみたかったです。

はりまや橋経由でJR高知駅前に行くべく、今度は徒歩で移動します。途中、四国銀行の前を通ると、武市瑞山先生殉節の地という碑がありました。この付近に、武士の牢屋である揚屋(あがりや)があり、幕末に土佐藩の勤王の志士で坂本龍馬の友人であった武市半平太(瑞山)が藩によって切腹させられた場所なのだとか。 武市半平太って誰?という質問が所員から出ましたが、幕末史に少しでも興味があればメジャーな名前かもしれませんが、そうでないと知られていないかもしれませんね。そもそも、どんな人物かを簡単に説明することもできませんでした。

そして、はりまや橋電停で少々撮り鉄。

南北へ向かう路線、東西へ向かう路線、さらに双方乗り入れる路線が交差する、はりまや橋交差点。伊予鉄道の大手町の平面交差も凄いですが、線路の複雑な交差で見れば、こちらも凄いものです。

基本的に若干のバリエーションはあっても、旧型の車両が大半を占める土佐電鉄ですが、ここで2000形をゲット。こちらは方向「幕」を使用しているんですね。

・・・そこへ、地元企業によるオリジナルの萌え電車がやって来ました。実際に放送されているアニメのキャラクターでもなんでもなく、萌えっぽい絵を散りばめたという、なかなか意欲的な電車です。

さて、土佐電鉄の撮り鉄を終えてJR高知駅へ向かいます。途中、札幌の時計台と共に日本三大がっかりとして名高い、はりまや橋(播磨屋橋)を見ます。 元々は大通りに欄干があっただけで、一方で名前だけは高知の代名詞として有名であったために、実にがっかり・・・だったのですが、1998(平成10)年には親水公園のように人工水路と朱塗りの橋を整備したので、ライトアップされた姿なんかは、なかなか美しいものとなっております。

で、この「はりまや橋」とは何か・・・ですが。江戸時代、高知の豪商で、堀によって隔てられていた播磨屋と櫃屋の本店を結ぶために架けられた私設の橋を起源とします。そして、竹林寺の僧・純信が恋人いかけ屋・お馬の為に髪飾りを買ったという悲恋物語で一躍有名になったそうなのですが、この程度で。 いずれにせよ、20世紀になって道路が整備されたり、堀が埋められたりで、がっかりとした姿になっていたのが、日本三大がっかり指定(?)へつながったようです。

途中、何か今までと違う形の電車だな・・・と思ったら1000形でした。1981(昭和56)年に2両が投入されたもので、出会うのはなかなか大変かも。

さらに、突如として川と夜景を撮りだす所長一行。一人が撮影を始めると、全員で同じ行為を始める定番です。

そしてJR高知駅に到着します。何と美しい空間になっていることでしょう。

武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の像が並んで立っており、ライトアップされていました。中岡慎太郎も坂本龍馬の友人で、幕末に武力倒幕のために陸援隊を結成。しかし、坂本龍馬と一緒に暗殺されてしまいました。享年30歳ということで、今の私よりも年下ではないですか。 坂本龍馬も今の私と同じ年齢である31歳で亡くなっているわけですし、この時代は若者が実に良く活躍していたものです。かなり過激な面はありますが。

さて、勤務の都合で本日中に帰宅されるリン所員を見送るためにJR高知駅へ。まずは、2000系特急「しまんと」を撮影。

こちらは反対側。なかなかトレインマークを綺麗に撮影することが難しいですね。

続いて特急「あしずり」を撮影。マイナーな特急でしたが、最近では高知を起終点とする特急として「南風」「しまんと」を系統分割し、本数も増加しています。

ちなみにN2000系の先行投入車と量産車による2両編成でした。

高知駅ホームの風景。木材で覆われた屋根は圧巻ですね。

土佐くろしお鉄道9640形も撮影しておきます。

そしてリン所員とお別れし、我々は食事へ向かいます。

・・・が、駅前にいる土佐電鉄の車両が気になる。こちら、名鉄岐阜市内線から移籍した車両ですね。名鉄時代の塗装で運転されていますが、広告車両になっているとは。出来れば他の車両に施してもらいたかったものです。もしくは、この色だから広告媒体として効果があるのか。



残ったメンバーは、はりまや橋付近の追手筋宴舞堂という店で高知県の食材を使った料理をたらふく堪能します。それは非常に美味しかったのですが。

我々の周りで、店員さんたちが「よさこい」を踊り始めるというオマケつき。宴会の前にホテルにレンタカーを置きに行っていたゼニちゃんは、このイベントに参加できませんでしたが、我々は衆人環視の中、店員さんたちや他のお客さんとの距離感に悩んでいるのでありました。 写真にはあまり写っていませんが、ちょうど我々がいる部分が吹き抜け構造になっていて、上の階にいるお客さんたちの注目されているのです・・・。


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