2019年3月10日 新山口から熊本・大牟田へ


翌日は馬騰所員と新山口駅から出発。新幹線口を久しぶりに撮影・・・。

こちらは昨日の夜も撮影した北口。う〜ん、天気が・・・。


山口エリアでは115系は3000番台を中心に活躍。


山口線のキハ47形。4両編成ですね。

宇部線の105系。そういえば宇部線も乗ったことがないので、いつか行かねば・・・。

それでは新幹線に乗車して出発。

長崎から山口へ、そして馬鹿じゃねぇかと自覚の上で、何と熊本へ。新幹線ホームに着いたところで、大河ドラマいだてんラッピング新幹線に出会いました。





熊本駅では、kajibooh所員と合流します。

最初に熊本城へ向かいます。こちらの商業施設は元気ですが…。


未だに石垣はボロボロです。大天守・小天守の復旧に全力を注いでいる感じで、その他は手つかずのようです。もちろん、復元に向けた調査はしているのでしょうけど。




熊本市交通局1090形を撮影し、一旦熊本駅へ戻ります。


お目当ては特急「かわせみ やませみ」。と言っても乗車するわけではありませんが、豪華な内装でした。

三角線のキハ47形。これまではキハ31形のイメージでしたが・・・。


さらにキハ185系特急「A列車で行こう」を初撮影。


「かわせみ やませみ」に比べると、内装は思ったよりも普通な感じ。同じように見える水戸岡デザインですが、どんどん豪華になっているようです。

そして熊本駅の新駅舎を撮影。今後は写真左手に巨大な駅ビルが誕生します。

続いて熊本電鉄の北熊本駅へ。


美しい姿になった5000系や…。

東京メトロから譲渡された03系も。

凄い組み合わせ。



玄関の前を線路が走るという併用軌道区間も初めて見ました。



新旧問わず、東京の地下鉄車両だらけ? くまもんラッピング電車3種類を全てゲット出来ました。

こちらはJR上熊本駅。

熊本市交通局の上熊本駅前。

5000形はかろうじてゲット。

そしてkajibooh所員の車で北上。途中、新大牟田駅を撮影。

そして、三井三池炭鉱三川坑跡へ。 1940(昭和15)年に開坑した坑口で、第一斜坑、第二斜坑の2つの坑口がありました。

まずは炭鉱で活躍していた電気機関車たちがお出迎え。15トン級B形5号電気機関車。1908(明治41)年、アメリカ:ゼネラル・エレクトリック社製。

20トン級B形1号電気機関車。1911(明治44)年、ドイツ:シーメンス社製。

45トン級B-B形17号電気機関車。1936(昭和11)年、東芝製。

20トン級B形5号電気機関車。ドイツ:シーメンス社製凸型機関車をモデルに、1915(大正4)年に三菱造船で製造された電気機関車。

さて、三川坑の遺構を見ていきます。第一斜坑は閉坑され更地になっていますが、第二斜坑が斜坑口から約20m残っており、見学することができます。我々はギリギリ間に合いませんでしたが・・・。


繰込場。入抗前に抗員たちが待機し、職員の指示を受ける場所です。2階は講堂でした。御覧のとおりかなりボロボロの状態で、姿を消す日は近いかも・・・。

職員脱衣所・浴場。抗員とは別に浴場が用意されていました。


コンプレッサー室。削岩機などの圧縮空気を動力源とする機械のコンプレッサーが置かれています。


中庭(日本庭園)。1949(昭和24)年に昭和天皇が御巡幸された際に記念として造られた公園。


隣接して三井港倶楽部があります。1908(明治41)年に三池港の開港と合わせて建てられたもの。三井財閥の社交場、外国高級船員の宿泊や接待、皇族方をはじめとする政財界の迎賓館として使用されました。外観はハーフティンバー様式(木骨様式)が特徴で、内部は1階には応接間、談話室、食堂、球技室(ビリヤード)、2階には広間、3つの寝室、談話室があり、屋根裏はボーイ部屋を備えています。1981(昭和61)年に改修工事が行われ、現在はレストランや結婚式場として一般に開放されています。大牟田市指定有形文化財。

続いて世界遺産である三池港へ。その中でも旧・長崎税関三池税関支署が残されているので撮影。1908(明治41)年の開港と同時に設置されました。

周辺には三池炭鉱専用鉄道の線路が今も残っています。

続いて荒尾市にある三池炭鉱 万田坑跡へ。こちらも世界遺産で、1997(平成9)年3月まで使われていました。


第一竪坑櫓は1899(明治32)年、第二竪坑櫓は1908(明治41)年に完成しました。残念ながらこの日は外からしか見学できなかったので、またいつか行かねば・・・。

再び大牟田市に戻り、三池炭鉱 宮原坑へ。第二竪坑櫓や巻揚機室が現存しています。

こちらも三池炭鉱専用鉄道も線路敷が残されています。最盛期には約150qもあったそうで、1984(昭和59)年までは旅客営業も実施。廃線跡はそこら中にあるので、全部見て回ると大変なことになりそうです。

続いて宮浦石炭記念公園へ。1887(明治20)年に開坑し、1968(昭和43)年に閉坑した宮浦坑を公園化したもので、1888(明治21)年3月に完成したボイラー排煙施設の煙突(国登録有形文化財)が目を引きます。


また、様々な採掘機械や・・・。

地底への往復へ使われていた人車とプラットホームが現存。

そして、三井化学専用鉄道を見ることができます。三池炭鉱専用鉄道の残存区間です。

電気機関車は5両が稼働していますが、こちらの20トン級B形12号機は引火性の強い物質を扱う区域で運用されるため、電源車から電気の供給を受けて非電化区間で運用されます。100年前の電気機関車ですが、何とハイテクな。

こちらの45トン級B-B形は使用していないようです。


45トン級B-B形19号機関車。 時間の都合でこの程度しか撮れませんでしたが、いつかガッツリと撮影したいものです。いつ廃止になるかわかりませんし・・・。

その後、福岡市内で3人で焼き肉を食べたのち、単独行動で西鉄へ。3000形「水都」と撮影して、〆とするのでした。



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