大井川鐵道3000系(初代)


小田急の歴史的な車両である3000形。
(撮影:mgpc64様 禁転載)

●基本データ

デビュー年:1957(昭和32)年/大井川鐵道デビュー年:1983(昭和58)年
元運行区間:大井川本線

●豪華な小田急ロマンスカーSE車だったが・・・

 通称、”SE”車=Super Express Car

 それまでの小田急の特急のイメージを一新させた画期的な車両で、小田急のみならず、国鉄初の電車特急151系「こだま」、そして新幹線の開発に多大なる影響を与えた、日本史に残る車両である。特に、ディスクブレーキを初採用し、さらに製造の年に国鉄と共同して東海道線大船〜沼津間で行われた高速試験で時速145kmを記録し、当時の狭軌鉄道における世界記録を樹立している。

 8車体9台車の連接構造で登場したが、1968(昭和43)年に国鉄御殿場線が電化されると、これに直通する気動車急行を置き換えるべく、5両編成に改造が実施。中間車の先頭車化と一部の廃車が行われ、この際に先頭車に大形の電照愛称表示器の装備や重連運転に対応するために連結器の設置などが実施され、大幅に印象が変わった。

 そしてJR東海が発足すると、「あさぎり」の沼津延長と相互に新型車両を投入し、相互乗り入れすることが決定。小田急側では20000形(RSE)が製造され、これに伴い1991(平成3)年3月15日をもって定期運用を終了。翌年の3月8日に「さよなら運転」が実施されている。

 現在、海老名車両基地に保存。イベント時に公開され、上り方の車両2両の外観が、登場時の姿に復元されている。 

 1983(昭和58)年に大井川鉄道(現、大井川鐵道)へ譲渡されたが、輸送力過剰の上、連接車という構造がメンテナンスに手間を要することもあり、1992(平成4)年3月31日付で廃車で廃車。しばらくは静態保存されていたが、車体腐食のために1993(平成5)年4月に解体された。

 ちなみに、3連化も検討されたが、客用扉が1箇所になるため実現しなかった。

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