ひがし茶屋街・にし茶屋街・長町武家屋敷跡ほか〜石川県金沢市〜
○解説
金沢城、兼六園とその周辺の軍関係の近代建築以外にも、その周囲に様々な見所が残る金沢市。このページでは藩政時代の面影をとどめる、ひがし茶屋街、主計町茶屋街、にし茶屋街の三大茶屋町、そして長町武家屋敷跡を御紹介します。あわせて、主計町茶屋街から少し歩いた場所にある近代建築も少々見て行きましょう。上写真は長町武家屋敷跡です。
(撮影&解説:裏辺金好)
○ひがし茶屋町
ひがし茶屋街は、古い街並みが数多く残る金沢の中でも、特に代表的なエリア。1820(文政3)年、加賀藩の政策によって整備された街で、1831(天保2)年にいったん廃止。1867(慶応3)年に再び公認されて、長らく繁華街として栄えた場所です。現在も、当時の建物が残っており、タイムスリップしたような雰囲気が味わえます。
▽場所
ひがし茶屋街中心部
ひがし茶屋街のメインストリート。
志摩 【重要文化財】
ひがし茶屋街の創設当時から残る茶屋建築。茶屋建築は2階が座敷とするため、1階よりも高いのが特徴。さらに通りに面して高欄と張り出しの縁側を持っています。
旧越濱
ひがし茶屋街の茶屋建築の1つ。江戸時代の建築です。
箔座ひかり藏
中庭に建つ「黄金の蔵」が特徴的な店舗。
旧・中屋
1820(文政3)年築。
東茶屋町周辺
ひがし茶屋街付近に残る古い建物。写真中央の建物は、何とも不思議な構造ですね。
○主計町茶屋街
ひがし茶屋街の反対側にある「主計町(かずえまち)茶屋街」は、藩政時代、富田主計の屋敷があったため主計町と呼ばれます。昔からの料亭や茶屋が建ち並び、特に夕暮れ時には美しい姿を見せるのが特徴。一旦廃止された、「主計町」の旧町名が1999(平成11)年に復活したことでも注目を集めました。主計町茶屋街の風景
(撮影:デューク)
旧・高岡銀行橋場支店(現・金沢文芸館) 【国登録有形文化財】
1929(昭和4)年築。高岡銀行の後は旧加州相互銀行浅野支店、旧石川銀行橋場支店として使用。
旧・三田商店(現・ギャラリー三田) 【国登録有形文化財】
1930(昭和5)年築。
○にし茶屋街
にし茶屋街は、金沢市野町二丁目にある茶屋街。1820(文政3)年、加賀藩第12代藩主前田斉広によって整備が許されたエリアで、ひがし茶屋街と共に誕生しました。
▽場所
犀川大橋 【国指定重要文化財】
1924(大正13)年築。にし茶屋街から徒歩で、香林坊方向に歩くと直ぐに見える美しい橋です。
○長町武家屋敷跡と周辺
繁華街の香林坊より徒歩5分ほどで見えてくるのが「長町武家屋敷跡」です。跡という名前で解るように、一部を除いて、基本的には当時の建物は残っていません。しかし、今に伝わる木羽板葺きの屋根のついた黄土色の土塀や武士窓のある門構、そして狭い路地は当時の生活を彷彿させるに充分な構造です。ちなみに、昔からの屋敷を公開している野村家(前田利家金沢入城時に、直臣として従った家)、加賀友禅の製作工程を実演している彩筆庵には一般の人も入場することが出来ます。また、足軽屋敷や商家も保存公開されており、こちらも必見です。
▽場所
旧桑嶋家長屋門
加賀藩士桑嶋家の長屋門。現在は別の方が所有されているようです。
大屋家 【国登録有形文化財】
内部も往時の姿をほぼとどめている貴重な武家屋敷。
野村家住宅
ミシェラン・グリーン・ガイド・ジャポン(2009年3月)で2つ星を獲得。このほか、アメリカの雑誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズガーデニング」で桂離宮(京都府)、足立美術館(島根県)に次いで3位にランクイン。
高田家長屋門 【市指定保存建造物】
加賀藩士高田家の長屋門。
高田家長屋門 【市指定保存建造物】
こちらは背面。
足軽屋敷清水家
武家屋敷跡に移築されてきた足軽屋敷。加賀藩の足軽屋敷が他と異なるのは、長屋形式ではなく、庭付き一戸建てであったこと。身分の低い足軽の家としては異例のことです。
足軽屋敷清水家
内部の様子。
足軽屋敷高西家
足軽屋敷清水家
内部の様子。
金沢市老舗記念館
武家屋敷からすぐ近くにある古い商家。元々ここにあったわけではなく、1579(天正7)年創業の薬種商「中屋薬舗」の建物を移築し保存したもの。1階は、薬箪笥のある「みせの間」、くみ天井の「おえの間」で、藩政時代の商家の様子を復元しています。当時の商家の売り場がよく再現されていますね。
金沢市老舗記念館
2階は金沢の老舗60店舗の協力で、生活道具や婚礼模様など伝統的町民文化を紹介する展示室に。ここには金沢の伝統工芸である、お菓子で出来た生け花も展示されています。お菓子で作るという発想が何とも凄い・・・。