展示室全景
3階は国産車を展示している。トヨタ以外のメーカーの車も多く展示。
トヨペット クラウンRS型 (1955年)
海外との技術提携が盛んにされるなかで純国産技術によって開発された、クラウンの初代モデル。デザイン・乗り心地・耐久性などすべてがバランスされた純国産車として話題になり、日本の自動車業界に大きな自信を与えた。
筑波号 (1935年)
東京自動車製造(株)が、1935年から3年間で約130台生産した日本初の前輪駆動乗用車。車名は、関東の筑波山に由来している。
ダットサン 16型セダン (1937年)
登場から2年経った1934年から国内初のベルトコンベアラインで大量生産され始めた。ピーク時には8000台以上が、トラックと合わせると36000台以上が量産され、小型車の代名詞となった。
トヨペット SA型 (1951年)
トヨタ初の小型車。1リッタークラスの小型乗用車で、流体力学を応用したスタイルとバックボーンフレーム構造、4輪独立懸架、コラムシフトなどの斬新なメカニズムを搭載している。
トヨペット スーパーRHN型 (1953年)
1953年に、小型車の規格が1000ccから1500ccに引き上げられ、それにあわせ登場した。1000ccのS型エンジンから20馬力パワーアップしたことにより性能が格段に向上し、主にタクシーに使われた。
トヨペット マスターRR型 (1955年)
初代クラウンと同時に発売されたRH型スーパーの発展型。タクシー用に開発されたため、前輪懸架は固定車軸とされ耐久性を向上。客室は広めにとられた。
フジキャビン 5A型 (1955年)
富谷龍一氏が設計し、富士自動車が開発した3輪キャビンスクーター。オートバイをベースに、ユニークなFRP製フルモノコックボディを採用した。画期的なものだったが、FRPの製造技術が追い付かず、わずか85台が生産されただけに留まった。
フライングフェザー (1955年)
住江製作所が発表したその名の通り、超軽量な車。設計者である富谷龍一氏の「最も経済的なクルマを」という思想を具現化したもので、合理的なスタイリングや最小限のメカニズムにより軽量化に成功した。しかし、結局は200台に満たない数で生産は終わった。
ダットサン 112型 (1956年)
オースチンのノックダウン生産により海外の先進技術を吸収しつつあった日産が1955年に発表した110型の改良型。斬新デザインと操縦性、居住性が評価され、1956年の「毎日工業デザイン賞」を受賞した。
トヨペット クラウンRSD 【オーストラリアラリー仕様】 (1956年)
国産車初の海外ラリー参加車。19日間で1.7万km走る世界一過酷と言われたオーストラリア一周ラリーに1957年に初挑戦した時の姿を再現したもの。
トヨペット コロナST10型 (1957年)
ダットサンの成功により、タクシー業界などからの需要が急増していた小型車に対応するために生まれた。しかし、急造されたものであったためその出来は市場を満足させることはできなかった。
スバル 360 K111型 (1958年)
もともと航空機メーカーであった中島飛行機の技術が生かされたスバル最初の生産型乗用車。軽自動車ながら大人4人が乗れる広い室内スペースとトーションバーのサスペンションによる快適な乗り心地は絶大な人気を得て、登場から約10年間軽自動車のトップに君臨した。
日産 オースチンA50型 (1959年)
日産はイギリスのオースチン車と技術提携を行い、1953年からA40サマーセットの国内生産を始めた。当時の国産車では比較にならないほどの高い快適性と走行性を備え、高い人気を誇った。また、この提携により海外技術を取り込んだことも特筆される。
ニッサン セドリックA30型 (1960年)
オースチンで得られた技術で、エンジン、シャシー、ボディにいたるまで全て新設計された。G型エンジン、71馬力、最高速度130km/hで、縦4灯のヘッドライトが特徴的である。車名は小説「小公子」の主人公からとられている。
トヨペット コロナPT20型 (1960年)
カンチレバーの後輪懸架により乗り心地を向上させたり国内初のティーザーキャンペーンを展開したりするなど多くの新技術と画期的スタイルで話題を呼んだ2代目コロナだが、タクシー用途には適さずブルーバードとの差は縮められなかった。
マツダ R360クーペKRBB型 (1961年)
東洋工業(現・マツダ)も軽自動車市場に参入し、R360を登場させた。軽自動車に4サイクルエンジンや本格的な2速ATを採用。ボディのフォルムもスポーツカーのようで大いに注目された。
日野 コンテッサPC10型 (1961年)
ルノーの技術を生かし、独自設計により開発された、軽快な運動性と素直なエンジンを備えたリアエンジン式のセダン。「コンテッサ」とはイタリア語で「男爵夫人」の意味。
パブリカ UP10型 (1961年)
合理的なフォーマットを踏襲し、当初より大衆向け実用車として登場したが、時代は高級さを求めており、デラックスモデルを追加するまでは不振だった。車名は、公募によりPublicとCarの合成語となっている。
日野 ルノーPA62型 (1962年)
日野もフランスのルノー公団と技術提携を行い、1953年からルノー4CVを製造開始。優れた操縦性とコンパクトなサイズからタクシー用としても採用され、さらにこれから得られた技術は後のコンテッサ900や1300を生み出すこととなる。
ホンダ スーパーカブCA100型 (1962年)
太いパイプとプレス鋼板で構成されたフレームに空冷式単気筒OHC49cc4ストロークエンジンをほぼ水平に搭載。優れた性能・耐久性・経済性で、日本の市場を席巻した。国外にも多くが輸出され、世界最多量産を記録しているオートバイであり、輸送用機器でもある。CA100型は、C100型の輸出用モデル。
ダットサン ブルーバードP312型 (1963年)
ブルーバードは、ダットサンセダン210型をモデルチェンジしたもの。210型の堅牢さに加え、多くの技術とエレガントなスタイルを採用。また、世界初の女性仕様のファンシーデラックスを設定した。
トヨペット クラウンRS41型 (1963年)
クラウンは日本での高級車市場を開拓し、1962年には2代目のモデルを登場させた。高速性能・居住性を兼ね備え、T字を象徴したラジエーターグリルやボンネット、フラットになったトランクなど、低く幅広い近代的なスタイルになった。
ダットサン フェアレディSP310型 (1963年)
スマートなボディにブルーバードと同じシャシーを使用、セドリックの直列4気筒OHVエンジンを搭載した国内初の本格的量産型スポーツカー。1963年に開催された第1回日本グランプリでは、欧州製スポーツカーを相手に見事優勝した。
トヨペット コロナRT40型 (1964年)
最高速度140km/h、4灯式ヘッドライトなど、トヨタの総力を挙げて開発し、技術レベルを国際水準まで高めた意欲作。開通したばかりの名神高速道路での10万km連続走行の公開テストを行うなどハイウェイ時代をイメージする販売戦略を展開し、大成功を収めトヨタの主力となった。
プリンス グロリアスーパー6 41型 (1964年)
プリンス自動車工業(現・日産)は、2代目グロリアに国産の市販車で初のOHC6気筒エンジンを搭載させた。最高速度155km/h、スムーズさに静粛性といった高性能・高級さを訴求した。
ホンダ S500 AS280型 (1964年)
ホンダ初の自動車で、531ccの超小型4気筒ツインカムにはCVキャブを装着しており、最高速度は130km/h。小型車としては驚異的なパフォーマンスと当時の常識からかけ離れた精緻なメカニズムと性能は世間を驚かせた。
トヨペット コロナRT50型 (1965年)
コロナはすでにファミリーセダンとして定着していたが、市場拡大のためにスポーティーなパーソナルカーを発売した。国内で初めてハードトップを製品化し、センターピラーのない開放的スタイルが好まれた。
トヨタ スポーツ800 UP15型 (1965年)
パブリカスポーツをプロトタイプに、空気力学を重視しつつもパブリカのコンポーネントを流用しコストダウンを図った大衆向けのスポーツカー。
ダイハツ コンパーノ スパイダー
F40K型 (1965年)
コンパーノ ベルリーナをオープンにしたファミリースポーツモデル。1リッターの高出力エンジンを搭載し、足回りを硬めにし最高速度145km/hを出した。
マツダ ファミリアSSA型 (1966年)
R360クーペやキャロルにより軽自動車で成功した東洋工業(現・マツダ)が小型自動車部門へ進出するために発表。アルミ合金を多用したエンジンが特徴で、足回りはポリウレタン・ラバーのブッシュを用いてグリスアップを不要にし、メンテナンスフリーを目指した。
ダットサン サニーB10型 (1966年)
3速コラムシフトのトランスミッション・2ドアセダンのボディ・グレードはデラックスとスタンダードの2種類だけとシンプルな商品構成で、車名も公募して決定した。高度経済成長による乗用車市場の拡大もあって、トヨタ
カローラと競争しつつマイカーを普及させていった。
トヨタ カローラKE10型 (1966年)
ボディサイズ・エンジン排気量・性能・装備品などあらゆる面で市場のニーズを満たし、日本にモータリゼーションをもたらせたマイカー時代の草分け。
いすゞ ベレット1600GT PR90型 (1966年)
ヒルマンミンクスの後継車として登場したベレットをベースにした2ドアクーペ。ニーズの多様化に合わせ、シート、ミッション、ハンドブレーキの組み合わせが自由にできるシステムを採用し、1964年には国産車で初めて車名に「GT(グランツーリスモ)」を冠した1600GT、通称ベレGを発売。SUツインキャブレターを装着し、高出力・高加速性を実現した。
スバル 1000 (1967年)
前輪駆動方式のメリットを最大限生かし、逆にデメリットは最小限にする設計がされた。1000用に開発された等速ジョイントは後の前輪駆動車の開発に大きく貢献した。
トヨタ センチュリーVG20型 (1967年)
世界の豪華車に匹敵するプレステージカーを目標に設計された。「センチュリー」の由来は、世紀を画する車、豊田佐吉生誕100年、明治100年にちなんだもの。
トヨタ 1600GT RT55型 (1967年)
コロナ・ハードトップをプロトタイプにしたスポーツクーペ。9R型DOHCエンジンを搭載し、小型でありながら最高速度は175km/h。快適な居住性や2000GTと同じ5速ミッションを備えた本格的な高性能ツーリングカーとなっている。なお、車名に「コロナ」は付かない。
ニッサン プリンス スカイライン2000GT−B S54型 (1967年)
これまでのGTをベースに量産・市販化したもので、3連式のキャブレターでチューンされたエンジンとスポーティな装備を持つスポーツセダン。なお、1966年の日産との合併から1968年までは、スカイラインの車名にプリンスを残していた。
トヨタ カローラ スプリンター KE15型 (1968年)
高級車だけでなく大衆車へのニーズも多様化し、それに合わせカローラにもファストバックスタイルの2ドアクーペ、スプリンターを追加。スポーティなスタイルと最高速度165km/hの高性能、さらに低価格さで購買層をさらに拡大させた。
トヨペット コロナマークURT62型 (1968年)
コロナとクラウンの中間の位置付で発売された。2ドアはハードトップや1.9リッター版を備え、基本11車種、52タイプをそろえ、発売3カ月後には月間2万台のベストセラーとなった。
トヨタ 2000GT MF10型 (1968年)
当時の技術の粋を集め、ヤマハの協力の下で開発された高性能スポーツカー。均整のとれたロングノーズ、バックボーンフレーム構造、6気筒ツインカムなど、オイルショックや排ガス規制に縛られていなかった時代ということもありデザイナーやエンジニアが存分に腕をふるった。発売に先駆けて行われた連続高速耐久走行にて、3つの世界記録と13の国際新記録を樹立した。
ホンダ N360 N360型 (1969年)
ホンダ2番目の乗用車で、横置きエンジンの前輪駆動式を採用し、全長3mの中で軽自動車最大の室内スペースを確保、最高速度は115km/hと、先発のメーカーの軽自動車と比べて性能・価格を大幅に向上させ、第二次軽自動車ブームを起こした。
マツダ コスモスポーツL10B型 (1969年)
ドイツNSU社との技術提携により実現した日本初のロータリーエンジン搭載車。未来的なスタイルと491cc×2の小排気量ながらレシプロエンジン2リッタークラスをも凌ぐ128馬力を出し、注目を浴びた。L10B型はマイナーチェンジ版で、最高速度200km/hを出した。
いすゞ 117クーペPA90型 (1970年)
いすゞフローリアンをベースに、イタリアのジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたスタイル、日本初の電子制御燃料噴射式DOHCエンジン、後部専用ヒーター、4人分のシートベルトなどを搭載し、性能・居住性などが高く評価された。
トヨタ セリカTA22型 (1970年)
日本初の本格的スペシャルティカー。それまでのセダンベースとは異なったスタイリッシュな2ドアクーペであり、上級モデルには高性能ツインカムを組み合わせ安定性やコーナリング性能など優れたトータルバランスを持つ。また、エンジンやトランスミッション、外観・内装・装備品を自由に選ぶことができるフルチョイスシステムを採用している。
ニッサン フェアレディZ432型 (1970年)
北米市場をターゲットにした廉価で安全なスポーツカー。車名の「432」は、4バルブ、3キャブレター、2カムシャフトを意味している。
三菱 コルトギャランGTO−MR型 (1971年)
1969年に登場したコルトギャランに翌年追加されたスポーティモデル。三菱初のDOHCエンジンを搭載し、1.6リッターで125馬力、最高速度200km/hを誇った本格的高性能車。
ホンダ シビックCVCC (1975年)
国産小型車初のFF2ボックス車。CVCC(複合過流調燃焼)エンジンを搭載したことで、当時世界一厳しく達成不可能と言われていたアメリカの排気ガス規制法「マスキー法」を世界で初めてクリアし、アメリカでも大成功を収めた。
トヨペット コロナRT102型 (1976年)
前後で衝撃を吸収するボディ構造などの対策が施された、「予防安全」をテーマに開発された車。ほかにも一部車種には衝撃吸収バンパー、異常を知らせる「OKモニター」などを採用した。
トヨタ ソアラ2.8GT (1981年)
医師・弁護士・実業家などの知的な職業に就いている裕福な青年層に向け開発された高級・高性能なパーソナルカー。
トヨタ MR2 AW11型 (1984年)
量産型カローラの駆動ユニットを流用した国産初のミッドシップエンジン車で、通勤通学・ショッピングなどに使える車として開発された。
トヨタ カリーナED ST160型 (1985年)
流麗なスタイルと4ドアセダンの実用性を持つモデルとして注目を浴び、4ドアハードトップクーペブームを巻き起こした。
ユーノス ロードスター (1989年)
欧州製ライトウェイスポーツカーが消滅した後、「人馬一体」をテーマに開発した。発売後、世界中で大ヒットし、ロードスターブームを巻き起こした。
トヨタ セルシオUCF-11型 (1991年)
アメリカの高級車市場に参入したトヨタが開発したレクサスのトップモデル「LS400」の国内向けモデル。すぐれた静粛性・快適性・製造品質・動力性能を誇った。
トヨタ RAV4 (1994年)
高い視点・4WD・高い汎用性などのSUVのメリットと乗用車の快適性と扱いやすさを兼ね備えた車。
トヨタ FCHV(Fuel Cell
Hybrid Vehicle) (2002年)
水素と酸素の化学反応によって発電した電気エネルギーを燃料電池スタックと二次電池の2つの動力源で駆動させる燃料電池電気自動車。
トヨタ プラグインHV(Hybrid
Vehicle) (2007年)
従来のハイブリッドカーよりもバッテリー量を増やし、家庭用の電源などの外部電源からプラグを差し込んで充電することができる。短距離は電気自動車のようにEV走行、長距離はエンジンとのHV走行をする。