日本の旅 第71回
異国情緒の長崎市〜長崎県長崎市
     A trip of Japan No.71 Nagasaki City
○長崎市の概要
長崎県南部の港湾・商工業都市で長崎県の県庁所在地。1889(明治22)年市制施行。面積は241.21km2。人口は約42万人。市街地は狭い平地から丘陵部に広がるため、坂が多いのが特徴。また、市内には数々の洋館・近代建築が残り観光地として人気。

6,南山手地区(大浦天主堂・グラバー園)
 東山手地区の向かい側に広がる南山手地区にも多くの洋館が残っています。まずはその中で、もっとも有名である大浦天主堂とグラバー園内にある建物を御紹介していきましょう。


大浦天主堂 【国宝】
1864(元治元)年、フランス人プチジャン神父に建てられた日本最古の木造ゴシック造りの教会。正式名称は「日本26聖殉教者聖堂」と言います。26聖人とは、豊臣秀吉によって長崎で死刑になった宣教師6人と日本人信者20人のこと。

大浦天主堂までの道
大浦天主堂の前には沢山の土産物店やホテルなどがあるのですが、これがちょっとヨーロッパ的で面白いです。その中にひっそりとお寺もあったりしまして、もっと面白い(笑)。

大浦天主堂大司教館
大浦天主堂の手前にある洋館(大正3年築)。背後に少し見えるのは、旧ラテン(羅典)神学校(明治8年築)で重要文化財。こちら、ド・ロ神父による建築で、100年経った今でも頑丈。神父さま凄すぎ。

グラバー邸 【重要文化財】
ここからはグラバー園内の建物を紹介。その名前の由来となったグラバー邸。持ち主のトーマス・グラバーは、幕末に薩長の志士たちに多くの武器を売った商人です。日本人と結婚し、息子の倉場富三郎も実業家として活躍し、日本と海外の架け橋となるべく内外クラブを設立しています。しかし、戦争中はスパイ容疑をかけられ、さらに原爆投下から11日後に自殺しました。莫大な遺産は、街の復興のために役立てて欲しいとの由。
グラバー邸
食卓はこんな感じ。グラバー氏の背が高かったためか、非常に鏡や天井が高い。また、グラバー邸は1863(文久3)年建築の、日本最古の木造洋館。
グラバー邸・隠し天井
グラバー邸には、のちの伊藤博文、井上馨をはじめ、多くの維新の志士たちが出入りしていたため、幕府の追求などがあった場合に隠れる場所として用意していたと考えられています。
旧三菱第二ドックハウス
明治29年に三菱重工長崎造船所第二ドックの側に建てられた洋館で、乗組員の休憩施設だったそうです。
旧三菱第二ドックハウスからの眺め
旧長崎高商表門衛所 
東京・神戸につぐ高等商業学校である長崎高商(現長崎大学経済学部)の表門衛所。明治38年の創立以来、70年間使われた物だとか。
旧長崎地方裁判所長官舎
明治16年建築。ここでは、明治時代の衣装を着ることが出来ます。
旧ウォーカー邸
日本初の本格的清涼飲料水の会社を長崎ではじめたウォーカー氏の旧宅。主な製品にはバンザイジンジャエ−ルなどがあると紹介しているサイトがあったが、本当ですかいな。
自由邸 
明治11年建築の西洋料理店。のち、検事正の官舎となり現在はグラバー園で喫茶店として使用されています。
旧リンガー邸 【重要文化財】
英国人商人フレデリック・リンガー氏の旧宅で、日本では珍しい南欧風の建築。
旧オルト邸 【重要文化財】
製茶業・貿易商の英国人オルト氏の旧宅。幕末明治期の建物で、我々が訪問した時には、ここで結婚式をやっていました。末永くお幸せに〜。
旧スチイル記念学校
明治20年、スチール博士が亡き愛児を記念して寄贈した資金によって開設された学校の建物。現在は、長崎から消えた洋館達の古写真を展示。


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