急行【東海】


最後まで東海道線を駆け抜けた正統派電車急行。
(写真:東海道本線 横浜駅/撮影:デューク)

●基本データ

登場年:昭和40年(1965年)
運転区間:東京〜静岡(名古屋・大垣)
使用車種:153系・165系

●列車の解説

 東海道本線に君臨した急行列車で、80系や153系の「東海型」の命名の由来ともなった由緒ある列車である。もともとは80系の準急列車として登場したが、昭和40年に急行列車に格上げされた。準急時代は当時の特急列車よりも速い速度で運転され、話題となった。

 当初はその名の通り、東海地方を走り、そのまま名古屋の方まで運転されたが、さすがに新幹線が並行していたこともあり、昭和47年に全列車静岡打ち切りとなった。1968(昭和43)年からは「ごてんば」の併結を開始し、最大で16両編成という長編成が実現した。その後は1981(昭和56)年に老朽化した153系がリタイヤしたため、165系に置き換えられ、昭和60年に「ごてんば」の廃止を見守り、そのままの姿でJR時代を迎えたが、各地で急行列車の削減が続く中、天下の東海道本線を165系がグリーン車を連結して走る様は昭和の時代が残っているような感があった。

 しかし、165系もさすがに老朽化が激しくなり、1996(平成8)年に373系に置き換えの上で特急に格上げされた。全線に渡って新幹線区間に並行するという特異な急行列車という印象が強かったが(特急格上げ後もこの印象はそのまんま)、実際には新幹線の恩恵を受けない都市をこまめに回る列車であった。最後まで正統な急行電車の姿を残していたため、同じく気動車で国鉄色とグリーン車を維持していた「丹後」とともに、東西の横綱急行として人気を集めていた。

 その後、2007(平成19)年のダイヤ改正において、格上げされた特急「東海」は廃止となり、東海地方を走った名列車の系譜は途絶えることになった。

●ギャラリー


 JR化後間もない頃の急行「東海」。白川橋梁もまだ撮影ポイントとして名を馳せていた頃。この頃はまだ基本的に11両編成での運転であった。
(写真:東海道本線 根府川〜真鶴/撮影:haru様 禁転載)

 廃止の2年前の2号。1994(平成6)年頃に撮影した「東海」2号。「東海」と大垣夜行用の165系は3編成であったため、同じ編成を見る機会は多かった。通常は種別幕のところに行先も書かれていた。廃止間際は「急行」とだけ表示されていたが。
(写真:東海道本線 横浜駅/撮影:デューク)

 横浜駅を発車していく急行「東海」。原形の大型のライトを装備する先頭車のほかに、シールドビームのヘッドライトを装備する車両も運用に入っていた。
(写真:東海道本線 横浜駅/撮影:デューク)

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