2008年8月23日〜9月4日 総移動距離8000km!東北・北海道の旅
〇8月29日
〇第58ランナー 石北本線普通(キハ54形) 網走7:43 → 北見8:49
網走を出発する前に駅名板を撮影。これはデューク所員が4年前に北海道旅行をされた時にも撮影されているのですが、かつて網走刑務所で服役を終え出所した元受刑者が故郷へ帰る際には必ずこの網走駅を利用することから、横道に逸れる人生を歩まぬよう縦書きとなっている…などの説明が、駅名板の右にあるプレートに書かれています。
〇第59ランナー 石北本線特別快速「きたみ」(キハ54形) 北見9:12 → 遠軽10:14
北見駅周辺でマンホールの蓋を撮影し終え駅に戻ると長蛇の列。何事かと思ったら「きたみ」の改札待ちでした。北海道の有人駅では列車の発車10分ほど前にならないと改札が始まらず、それ以外の時間帯は入場できなくなっています(乗り継ぎで改札を出ないのは問題ないようです)。そのため、「きたみ」に乗るために改札を待つ人が列を成していた、と言うわけです。
実際は座席がちょうど埋まる程度の人数でした。列車は東相内(ひがしあいのない)駅でDD51形プッシュプル運転の貨物列車と行き違いをし、常紋信号場ではなかなか逃げないエゾシカ相手に警笛を連発しつつ遠軽(えんがる)駅に到着。私はここで下車します。
遠軽駅で降りたのは「きたみ」に乗れてかつ有効に時間を潰せそうなところだったから。駅周辺に何があるのかの下調べもせずに降り立ちましたが、駅から徒歩数分のところに奇妙な絶壁が。
これは「瞰望岩(がんぼういわ)」という高さ80mの絶壁で、これをアイヌ語で「見晴らしの良いところ」を意味する「インガルシ」と呼んだのが遠軽町の町名の由来になっています。
そのすぐ足下にはD51 859号機が保存されています。デフレクタに描かれているのは遠軽町の町章。かつて名寄本線が分岐し、また東の常紋峠がSLの名撮影地だったことを考えると、この地にD51形が保存されているのは当然と言えます。ちゃんと屋根も設けられ、綺麗な状態を保っています。
D51形の左隣には雪掻車のキ100形キ282。1954(昭和29)年、舞鶴の飯野重工業(現在の日立造船所舞鶴工場)で製造された車両で、石北本線で使用されていたようです。こちらは露天ですが、まずまずの状態で保存されています。
こちらも瞰望岩のすぐ下にある遠軽神社。1916(大正5)年に創建された神社で、天照大神などを祀っています。旧社格は村社で、遠軽町の神社では中心的な位置にあるようです。
〇第60ランナー 石北本線特急「オホーツク1号」(キハ183系) 遠軽10:57 → 網走12:46
遠軽からは「オホーツク1号」で網走へ引き返します。遠軽から最後尾となる自由席車の1号車はキハ183形100番台でした。
〇第61ランナー 網走バス天都山線 網走駅前12:54 → 博物館網走監獄13:01
今日は残った時間全てで博物館網走監獄をじっくり見て回ることにしています。網走駅前からバスが出てはいるものの本数が少ないのでご注意を。
写真は館内の旧二見ヶ岡農場にある食堂で提供されている「監獄食」。現在の網走刑務所で実際に出されている昼食を再現したもので、1食500円。実際は味噌汁が番茶だったり、麦飯やサンマが冷めているなどの違いがあるそうですが、私が行った時にはちょうどサンマが焼き上がった時で脂の乗った旬のサンマを美味しくいただきました。
こちらは「五翼放射状舎房」の内部。写真は雑居房の区画ですが、他に独居房の区画もあります。このような古い獄舎が1984(昭和59)年まで実際に使用されていました。現在は国の有形登録文化財に指定されています。
この他にも様々な施設が移築あるいは復元され展示されていますが、こちらの紹介は「日本の旅」コーナーに譲ることにしましょう。
〇第62ランナー 網走バス天都山線 博物館網走監獄17:16 → 網走駅前17:25
昼過ぎに投獄(入館)され、全てを見終えて出所(退出)した時には3時間半が経っていました。なかなか時間がかかるもので、見応えがありました。さて、後は網走駅まで戻り、宿に戻って今日はすべて終了。