○第25ランナー 博多南線特急(100系) 博多7:39 → 博多南7:49
|
この日は7時頃の比較的遅い時間に行動開始。乗るべき列車が10時過ぎなので、これでも3時間ほど余分な時間があります。と言うことで、今日は青春18きっぷを使用しないこともあり、山陽新幹線の回送線を旅客化した博多南線に乗ってみることにします。
博多南行きの753号は新山口始発の「こだま753号」から直通する列車ですが、博多で大半の乗客が下車し博多南に向かう客は1両に5人程度でした。
10分で博多南駅に到着。時間がちょうど通勤時間帯だったため、福岡市中心部に向かうサラリーマンが次々に駅に吸い込まれていました。駅舎の頭上に見えるのが九州新幹線の高架橋。こちらの開業以降も博多総合車両所への車両の入出場は普通に行われるので博多南線も同様に存続していくものと思われます。
さて、博多南駅は博多総合車両所の最も西側の1線を使用しているため、ホームからは留置されている車両が良く見えます。こちらは先日「さくら」に愛称が決まった山陽・九州新幹線直通用のN700系7000番台。やや青みがかった白が遠くからでも確認できました。
922形「ドクターイエロー」の先頭車・922−26。既に廃車となっていますが、どこかに展示する予定でもあるのか解体は免れているようです。
500系900番台「WIN350」の先頭車・500−906も保存されています。こちらは後の500系やN700系に至る高速化の系譜の原点とも言える車両であり、今後も出来る限り保存されていくのでしょう。
この他、かつて100系「グランドひかり」で使用されたダブルデッカー車や、0系の先頭車も見ることができました。この先頭車、奥まっていて詳細は不明ですが恐らく最後まで残った編成の先頭車のいずれかで、保存先への譲渡のため留置されていたのでしょう。
手前には300系・700系・N700系がずらり。こうして見ると本当にN700系が多くなりましたね。
○第26ランナー 博多南線特急(100系) 博多南8:17 → 博多8:27
|
僅かにラッシュのピークを過ぎたあたりで博多に戻ります。
ほとんどが100系での運転ですが、中には「ひかりレールスター」用の700系7000番台や500系V編成での運転も存在します。基本的には山陽新幹線から直通しており、時刻表を読めば判別が可能なので、形式を狙って乗車してみるのも面白いと思います。
在来線ホームに行ってみると、国鉄色に復元された415系Fm−5編成が停車していました。広範囲にわたって運用を持つ南福岡電車区の415系の中で1編成だけの存在で、出くわす確率が非常に低いだけにラッキーでした。
キハ72形「ゆふいんの森1号」。様々な形式の車両を用いた特急列車が発着する博多駅でも目立つ存在です。キハ58・65形を改造したキハ71形もありますが、乗り心地や車内設備が異なるので両方乗ってみたいところです。
「はやぶさ」の到着をホームの端で撮影するべく40分ほど前から待機。ついでに練習として貨物列車の4095レを撮影。「はやぶさ」の編成の長さを考慮する材料にもなり、割とイメージが掴めました。
そして定刻に「はやぶさ」が到着。早めに場所を押さえておいたのが功を奏し、無事に良い写真が撮れました。
移動し停車中をさらに撮影。停車時間が2分確保されている上に思っていたほど人が多くなく、無理矢理人を押し分けて…というような状況にはならず撮影できました。
「はやぶさ」単独での撮影はこれで全て終了。あとは「富士」との併結での撮影になります。
○第27ランナー 鹿児島・久大本線特急「ゆふいんの森3号」(キハ71形) 博多10:17 → 大分13:13
|
「はやぶさ」の出発を見送り、そのまま同じホームに停車している「ゆふいんの森3号」に乗り込みます。今回「富士」の乗車券が確保でき、大分→東京の乗車券も必要になったのですが、それならば始発駅を博多にして「ゆふいんの森」に乗車した方が単独で乗車するよりお金がかからないだろう…ということで予定に組み込みました。
倉吉駅で特急券を購入する時、座席は窓側としか指定しなかったのですが、気を利かせたのか1号車の前の方を取っていただきました。大分行の3号は進行方向から1号車、2号車…という順番のため、前面展望が楽しめると期待していました。
そしてもう1つ楽しみだったのがビュッフェ。全国の昼行列車の中で唯一の存在で、ドリンクやおつまみ類、駅弁、「ゆふいんの森」グッズが売られています。私も営業開始後に並んであれこれ購入。
ということで、白ワインと生ハムです(笑)。11時頃からというのもどうかと思いますが、どうしてもこういう列車に乗車すると節約の心がどこかに吹き飛んでしまうようです。
そして案の定、酔いが回ってついウトウト…。途中、日田から豊後森までの記憶が見事に抜け落ちてしまいました。
そしてこちらもビュッフェで購入した「香草物語弁当」。様々なおかずが入っており飽きさせない逸品でした。
期待していた前面展望はと言うとご覧の通り。これは由布院発車後に空席になった最前列から撮影したものですが、私のいた位置からでもよく見えました。流石はハイデッカー構造といったところです。
大分に到着しましたが、「富士」の発車までまだ3時間半もあるので改札を抜け出し市内へ。といっても府内城跡まで往復してみる程度の小1時間ほどの散歩でした。
府内城は他の多くの城と同様に明治の廃城令によりその多くが破却され、さらに太平洋戦争時の空襲でも残っていた櫓が幾つか焼け落ちるなどしましたが、現在でも2棟の櫓が現存し、また土塀や下写真の廊下橋などが復元されています。
まあ、この辺の解説は所長の方がずっとお詳しいと思いますので、そちらに譲ることにしましょう。
1996(平成8)年に復元された廊下橋。その名の通り、廊下のごとく屋根と壁を備えた橋で、他では余り例がないという特殊な構造物。もちろん中を実際にわたって歩くことも可能です(夜間は閉鎖)。
こちらは府内城に行く途中に偶然前を通りかかった、大分銀行赤レンガ館。1913(大正2)年に竣工し、太平洋戦争の空襲で外壁を残し全焼したものの改築され、1949(昭和24)年から17年間、大分銀行の本店として営業していました。現在も1階部分が同行のローンプラザ支店や多目的ホールなどとして、2階がホールとして使用されています。また、1996(平成8)年には国の有形登録文化財の指定を受けています。
さて、大分駅のコンコースは当然のことながら「富士」一色。改札真正面では写真展が開かれ、公募で集まった各地の「富士」の写真が展示されていました。
また、その隣では「富士」の引退記念グッズ用の特設売店が設けられていました。Tシャツやストラップ・キーホルダー・駅弁などその種類も様々でしたが私はここでは何も買わずじまいでした。
残った時間で今朝と同様にホームの場所取りをしておくと共に発着する列車を撮影。「九州横断特急5号」は、後ろ1両が「ゆふ」用の赤とグレーのツートンカラーの車両でした。
特急列車でワンマンというのも不思議な感じですが、料金収受や車内販売などを行う客室乗務員が乗車しているので普通の特急列車とほとんど同じです。
大分発南延岡行の普通列車としてやって来た717系。この列車の運行される区間のほとんどは普通列車が日に数本しか設定されておらず、佐伯〜市棚間で3往復、市棚〜延岡でも4往復という状況。しかも特急列車は佐伯〜延岡で無停車なので、これに乗り遅れると大変なことになってしまいます。そんなわけで、車内はかなりの混雑ぶりでした。
「にちりん16号」は3両編成での運転だということでそれとなく期待していたら本当にやってきた485系国鉄色のDo−2編成。国鉄色に復元したのはいいのですが、やはり飾り帯が無いと何か違和感が…。
そしていよいよ「富士」が入線。きっちり西日が当たって最高の編成写真となってくれました。
「富士」単独の写真も「はやぶさ」同様にほとんど撮影しておらず、これほどきっちりしたものとなると最初で最後ということになってしまいます。
振り向いて編成全体を後部から撮影。やや色褪せた「富士」のトレインマークがやけに寂しく見えます。
駅員にお願いして記念写真を撮ってもらい、いよいよ東京に向けて長い旅の始まりです。
○第28ランナー 日豊・鹿児島・山陽・東海道本線特急「富士」
(ED76形&EF81形&EF66形+14系寝台車) 大分16:43 → 東京9:58
|
汽笛と共に大分駅を定刻に発車。沿線各地に散らばるカメラマンの方々を眺めつつ大分県内を北上します。
明るいうちから夜行列車と言えば前回乗車した「トワイライトエクスプレス」もそうでしたが、今回は一応夕日の中ですし、座っている場所も個室ではなくB寝台の通路にある補助席。なんとも哀愁漂う光景です。
中津駅で後続の「ソニック48号」を先行させるため8分の停車。加速・減速・最高速のいずれの性能も電車に劣るようではダイヤ組成上のネックとなってしまうのも仕方のないことで、これもまた廃止の一因なのでしょう。
門司駅に到着。大分から牽引してきたED76形の役目はここまで。ここで既に到着し、機関車をEF81形に交換している「はやぶさ」編成が前方に連結されます。
寝台列車の併結は2年前に長崎から博多までレガートシートで乗車した「あかつき」で「なは」との併結を眺めて以来です。あの時も後から到着した編成に乗っていたことになります。そしてこうやってデッキから連結風景を眺めていました。
ちなみに外はと言うとこの状況。先着している「はやぶさ」の乗客に「富士」の乗客が加わっており、とても普通に撮影できそうにありませんでした。
さて、前方から「はやぶさ」が近づいてきました。
「富士」の貫通扉が閉じられたまま連結。「なは・あかつき」の際は最後の連結時は両方に作業員が立っていたのですが、鳥栖と門司とでは方法が違うのでしょうか。
「富士」の貫通扉も開けられ、作業員により手早く幌が繋がれていきます。
この後、両方のトレインマークに電源が入れられて作業終了。本来なら併結部分のトレインマークの電源は切られているのですが、サービスということなのでしょう。
関門トンネルを抜け下関へ。ここで機関車が再度交換され、東京までEF66形が牽引していきます。
門司と違って到着してから切り離すまでがあっという間。そしてEF66形が連結されるのもあっという間でした。この日は49号機の牽引で東京まで約14時間を走行することになります。
下関をやや遅れて出発したものの次第に遅れを取り戻し、定刻となる22時35分に広島に到着。思えば先頭を撮影したのはこれが最初で最後でしたが、つい1ヶ月ほど前まで私が撮影していたのとは状況がまるで違っていたのには驚きました。何より人が多い!「富士・はやぶさ」は2年ほど前から広島に出かけるたびに撮影していたので、私1人での撮影なんてことも珍しくはありませんでしたが…。
広島は運転士の交代があるため2分の停車。ギリギリまで撮影を粘り、急いで自分の車両までダッシュする人が目立ちました。広島を出れば後は尾道・福山・岡山と停車するのみということで、就寝。翌朝も早くから行動するのでほとんど仮眠程度ですが…。