大日本史年表(大和・飛鳥時代)

★大和時代(古墳時代)
3世紀後半〜4世紀初頭 大きな墓( 古墳 )の登場
                   ・・円墳や方墳、そして( 前方後円 )墳など
      ●日本最大の古墳・・・( 大仙陵 )古墳<大阪府堺市>
       埴輪2タイプ・・・( 円筒埴輪 )と( 形象埴輪 )         
      ★朝鮮と倭
        朝鮮半島の情勢
         北部の( 高句麗 )・馬韓からできた( 百済 )・辰韓からできた( 新羅 )の3国が争う。      
        倭の朝鮮攻略拠点・・・・( 伽耶 )=任那:存在には疑問の声も
        丸都の( 高句麗好太王碑 )・・・倭VS高句麗の碑文
      ●倭の5王・・讃・珍・済・興・武(=雄略天皇)
       埼玉県の( 稲荷山 )古墳の鉄剣「獲加多支鹵大王」=( 雄略 )天皇
       熊本県の( 江田船山 )古墳の鉄刀
      ●土器・・弥生土器系の( 土師器 )から5世紀頃渡来系の( 須恵器 )へ
      ●大和朝廷の仕組み
        大王・・説明略
        氏姓制度:( 氏 )・・血縁的結びつき。1族のボス・・( 氏上 )
            ( 姓 )・・豪族の大和朝廷内での地位。
            ( 臣 )・・皇族の姓。蘇我氏・巨勢氏など。
            ( 連 )・・非皇族の姓。伴を率いる。大伴氏・物部氏・中臣氏 
            ( 君 )・・759年より公と改称。有力地方豪族と小皇族。
            ( 直 )・・伴を率いて朝廷に奉仕する首長。
            ( 造 )・・地方官。大化の改新後、郡司と改称。
            ( 首 )・・5〜6世紀に服属した国造に与えられた姓。
            ( 県主 )・・県(朝廷の直轄地や要地)の地方官。
            ( 屯倉 )・・朝廷の直轄地。
            ( 田荘 )・・部曲が耕作する豪族の私有地。
            ( 田部 )・・屯倉の耕作。
            ( 伴・品部 )・・伴造の部下。
            ( 部曲 )・・豪族の私有民。
            ( 名代 )・( 子代 )・・大王家に貢納する人々。
      ●太占の法・盟神探湯の習慣
479年  雄略天皇死去。後継者争いおこる。
507年  ( 大伴金村 )が越前より男大述王を迎え、( 継体 )天皇として即位させる。 が、この継体天皇は何者?
512年  ( 大伴金村 )が、百済に任那4県を割譲した問題が再燃して失脚する。
513年  ( 五経博士 )が来日して儒教を伝える。
527年  筑紫国造( 磐井 )の反乱。翌年鎮圧される。
538年  百済より仏教伝来。( 仏教公伝 )という本によるとだが。
552年  百済より仏教伝来。( 日本書紀 )や( 上宮聖徳法王帝説<平安中期に成立した聖徳太子の伝記> )という本によるとだが。
       ▼仏教をめぐる、蘇我氏と物部氏の死闘の開始。
       第1ラウンド 蘇我稲目(仏教好き)VS 物部尾輿(反仏教)
587年   第2ラウンド 蘇我( 馬子 )VS 物部( 守屋 )
       結果、物部氏滅亡。
 
★飛鳥時代 592年   蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺。( 推古 )天皇が即位。
593年   ( 聖徳太子 )が摂政になる。
       ( 四天王 )寺建立。
596年   蘇我氏の寺( 飛鳥寺 )=法興寺建立。
602年   ( 観勒 )が暦を伝える。
603年   才能や功績に応じて冠位が与えられる( 冠位十二階 )が定められる。
       太秦(うずまさ)に広隆寺が建立される、とれば半跏思惟像。
604年   憲法17条制定。
         ▼狙い2つ
            ・役人の心構えをとく。
            ・仏教を信じなさい。                          
605年   ( 鞍作鳥 )が飛鳥寺釈迦如来像をつくる。
607年   ( 小野妹子 )らが隋に派遣される。
       法隆寺建立。 (写真右)
608年   第1回遣隋使派遣。高向玄理・南淵請安・旻などが留学。  
610年   高句麗僧の( 曇徴 )が紙・墨などの製法を伝える。 
611年   聖徳太子が( 三経義疏 )を著す。
620年   聖徳太子と蘇我馬子が「 天皇記 」と「 国記 」を編纂。 大半は蘇我氏滅亡時に焼失。内容不明。
622年   聖徳太子死去。妃の橘大郎女が( 天寿国繍帳 )をつくらせる。
623年   ( 鞍作鳥 )が法隆寺金堂釈迦三尊像をつくる。
 
       ▼蘇我( 蝦夷 )・( 入鹿  )親子の専横が強まる
         *余談:一般にはそういわれていますが、実はそうではなかったという説も最近では有力です。
 
643年   ( 蘇我入鹿 )が山背大兄王(聖徳太子の子)を攻め、自害させる。
            △さすがに蝦夷もびっくり!!
645年   大化の改新。中大兄皇子、中臣鎌足らにより蘇我入鹿が殺害される。蝦夷は自害。
646年   ( 改新 )の詔。内容4点は、 
       ・公地公民制             
        ・中央集権
       ・戸籍・計帳をつくり班田収授法を施行する 
       ・全国統一的な税制の実施   
 




コラムQ.日本という国号はいつから使われた?
   A.だいたいこの頃かららしいが詳細は不明である。ただし
     702年以降の遣唐使は「日本国使」と名乗っている。
 
663年   ( 白村江 )の戦い。日本・旧百済連合軍が唐・新羅連合軍に大敗。
664年   国防のため北九州に( 水城 )をおき、太宰府の北に( 大野城   )を築城する。
667年   ( 近江京 )に遷都。日本政府首脳陣が、唐が攻めてくるかもと,いかに恐怖していたかがわかる。
668年   中大兄皇子が即位し、( 天智 )天皇となる。
       最初の令である( 近江令 )を制定。
       余談:この年、石油が越国(こしのくに:新潟の越後のことか)で発見され、献上される。いわゆる、燃える水なり。
669年   中臣鎌足、藤原の姓と大織冠を与えられるが、その翌日に死去。
670年   最初の全国的である( 庚午年籍 )がつくられる。
671年   天智天皇死去。
672年   ( 壬申 )の乱。天智天皇の子、弘文天皇こと( 大友 )皇子が天智天皇の弟である( 大海人 )皇子に敗北し、自害する。
       ( 飛鳥浄御原宮 )に遷都。
673年   大海人皇子が即位し、( 天武 )天皇になる。ちなみにこのときから天皇という名前が登場。
680年   ( 薬師 )寺建立。ただし完成は698年。
684年   ( 八色の姓 )が制定。
686年   天武天皇死去。
       余談:天智天皇と天武天皇の見分け方。
           天武は武力(壬申の乱)で天皇の座をとったと覚えればよい。
689年   ( 飛鳥浄御原宮 )令施行。
690年   持統天皇(天武天皇の后で、天智天皇の娘)即位。
694年   ( 藤原 )京に遷都。
697年   持統天皇の孫、( 文武 )天皇即位。
        このころ、歌人( 柿本人麻呂 )が活躍。
        高松塚古墳・法隆寺金堂壁画・( 山上憶良 )による「貧窮問答歌」もこのころ。
701年   ( 大宝 )律令完成。( 刑部親王 )・( 藤原不比等 )らがつくる。
         統治組織を定める。
           ( 神祇官 )・・神々の祭りを司る。
           ( 太政官 )・・一般政務をつかさどり、八省を管轄。
           ( 畿内 )・( 七道 )・・全国の行政区分。その下に( 国 )・( 郡 )・( 里 )が設けられる。
            郡司・・もとの( 国造 )から任命。
           ( 官位相当の制   )の制・・位階に応じた官職に任命すること。
           ( 蔭位 )の制・・父や祖父の位階に応じて位階がもらえる。
         班田収授法〜六年ごとに収公〜
           ( 計帳  )・・調・庸を取り立てるための台帳。毎年作成。
              戸籍・・( 6 )年ごとに作成。
              口分田・・( 6 )歳以上の男女に与えられる。
              田地は( 条里 )制の形で整然と区分。
              租・・田一段につき( 2 )束( 2 )把の稲を納める。
              調・・( 地域の特産物を修める )
              庸・・都の労役10日か布( 2 )丈( 6 )尺を納める。
              雑徭・・地方での労役( 60 )日以下
              ( 出挙  )・・国が春に稲を貸し付け、秋に利息とともに徴収。
       ( 大学 )・( 国学 )の設置  <教育機関ができる>
704年   この頃から僧の( 行基 )が社会事業で活躍。朝廷はこれを弾圧。
708年   銅銭( 和同開珎 )の鋳造。 その前に富本銭というのもあった。
 

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