第1回 古代中国〜周、そして秦へ

○復活はしたものの・・・・

 西周が滅んだ後、先ほどの廃嫡された皇太子・宣臼が即位。かつて周公旦が周の副都としていた成周=洛邑(後の洛陽)に遷都しました(前770年)。申一族は異民族と手を組んで幽王を倒したのですが、倒せば同盟は終了です。今までの都をよりも東に移して、危機回避を図ったのです。

 しかし、これ以後、周がかつての力を取り戻すことはありませんでした。そして、一般にはこの紀元前770年〜前403年を春秋時代、前403〜前221年を戦国時代をわけます。403年は、という国で、有力家臣の3人が国を奪い独立した年。すなわちこれは、前者が、各諸侯が周王室の権威を借りて戦ったのに対し、後者は周王室の権威がなくなり、諸侯自体が下克上で国を奪われた時代ということで区分されています。その他には太公望が封じられたが、家臣の田和に乗っ取られています。
 
 また、春秋の有力者五人を五覇、戦国の有力者を七人を七雄と称します。この時代、各国は富国強兵政策を採り、農業や商業が飛躍的に発展しました。具体的には農業面で、それまでの木製の道具に代わり、春秋時代には銅製の農具が、戦国時代には鉄製の農具が登場し、商業においては青銅の貨幣が登場したことがあげられます。なお、商の時代は末期より貝のお金を使用していました。及び、商人の商人たる所以は、商の人が商売上手だったことからあげられます。



戦国時代の貨幣 (大英博物館にて)
なお、9番は金王朝(1115〜1234年)、10番は唐王朝の貨幣です。

○秦、始動する

  さて、この戦国の争いに終止符を打ったのがです。秦は、中原より離れた場所にあり、周が成立した時代より前より存在していました。中原の国々が領土を巡って争っている中で、秦は南西部の蜀などを征服し、領土を拡大していき国力を付けていきます。

 前4世紀、孝公は衛という国の亡命貴族商鞅を登用し、積極的に行政改革を進めます。また、魏の国出身の張儀連衡策を採用し、利害が複雑に絡み合う他国と巧みな外交を展開し、の時代についに周王朝とその他の7雄の国を滅ぼします。前221年、中国を統一した政は始皇帝と名乗りました。ただし、統一と言っても、今の中国の領土より遙かに小さいものです。

○この時代の思想

 乱世であった春秋・戦国期には、強力な国家を作るための思想や人々の精神の拠り所となる思想が必要とされました。こうして登場したのが、諸子百家と総称されるものです。分類すると以下のようになります。

  儒家・・・孔子がはじめたもの。「徳」と「仁」を政治に求める。弟子によってに孔子の教えが「論語」としてまとめられ、その後の中国と日本・朝鮮に大きな影響を与えた。孟子もこの一派。
  墨家・・・儒家を批判。鬼神の存在を唱える学派。墨子が創始。無差別平等の博愛を唱えた。キリストに似ている?
  農家・・・神農の教えに基づき、平等の精神を主張。
  道家・・・自然を尊び、自然の流れに任せれば世の中はよくなるという学派。老子荘子が有名。
  陰陽家・・・天体の運行を人間生活に取り入れる学派。陰陽師でおなじみ。
  法家・・・法律による人間社会形成を目指す。商鞅韓非子が有名。
  名家・・・言葉と実態の関係を究明しようとする学派。
  兵家・・・孫武(孫子)の兵法はあまりに有名。兵士の用い方を説く学派。
     なお、孫子の兵法は、あくまで「用兵」、つまりいかにして兵士を上手く使い、被害を最小限に抑えるかにある。

 なお、孔子もそうですし、この中国古代には、実に様々な魅力や逸話を持った人物が登場します。色々と紹介したいのは山々ですが、そうすると膨大な量になってしまうので、「解りやすく、詳しく」をモットーとする私としては不本意ですが、こちらも興味がある方は、ぜひ自分でお調べ下さい〜。

次のページ(蓁の時代)へ

↑ PAGE TOP

data/titleeu.gif