第26回 アヘン戦争前夜

○アヘンの登場

 さて、ある意味途中で脱線しましたが、話を戻します。
 清に散々にあしらわれたイギリス政府は、合法だろうが非合法だろうが、植民地であったインドで生産していた麻薬であるアヘンを清の大衆に売り飛ばすことにします。これがもう大ヒット! 政情が不安だったこともあり、たちまち民衆はこの麻薬の虜となり、街には廃人があふれかえるようになります。

 のみならず、今度は清の方が多額の貿易赤字に苦しむようになりました。
 そこで、このアヘン貿易をどう取り扱うか、さすがに清の政府の中で問題となります。もちろん、既に何度も輸入禁止のおふれは出してはいるのですが、効果が上がらないからです。

 そこで、嘉慶帝の後を継いだ皇帝、道光帝愛新覚羅曼寧 位1820〜1850年)は意見を募ります。
 最初に出てきたのが、許乃済(きょだいせい)によるアヘン弛禁論でした。つまり、
「確かにアヘンは体に悪く、撲滅するべきではあるが取締は難しい。密輸の手口も巧妙となる。不正役人の懐も潤ってしまう。また、少量ならば昔から薬として輸入されてきた。ならば、いっそのことこれに税金をかけてしまって政府の歳入を増やそう」
というものです。

 イギリスから見れば大歓迎の論理で、おかげで「清の政府はアヘンを禁止にすると言っているが、それはただ経済的な問題だ。アヘンは人道的に問題ない」という反論の口実を与えてしまいます。また、広州の官僚達はアヘン貿易で賄賂をもらっているので、この弛禁論に賛成したのも事実です。

 また、許乃済はアヘンを吸うのはバカな民衆だから政府には害はない。また、中華の国土であれば毒性は緩和される、などと認識不足の論も展開する始末。しかし、道光帝はこれに反対でした。そこで弛禁論に対する反論として袁玉麟などが
「官僚や兵士は民衆から採用されるのだから、民衆がアヘン漬けになるのは危険である。
また、全ての民は皇帝の恩を受けるべきである」
というものが出されました。ところが、それでは道徳論であり対策になっていません。

 もっとも、これで弛禁論では問題の先送りであることはハッキリしました。問題は具体的な対策。
 ・・・ついに出てきました。黄爵滋という鴻臚卿(賓客を接待する鴻臚寺の長官)が具体案を出したのです。
 「1年以内に、アヘンを吸う者は死刑にせよ」
 極めてシンプルですが、要は民衆が死刑を恐れてアヘンを買わなくなればいいのです。しかも、アヘン中毒は症状がはっきりと出るので、基本的には無実の人を死刑にすることもありません。流石にそれはやり過ぎでは・・・という意見もあったものの、原則論として反対する者はなく、道光帝も満足。

 後はこれを実行するだけ。その人材発掘のテストも兼ねて、さらに道光帝は意見を求めました。
 その結果、「アヘンを売る者も死刑にすべし」「問題を放置すれば清王朝の存続に関わる」などと堂々と論じた、林則徐というベテランの湖広総督が選ばれました。彼は欽差大臣(特命担当大臣のようなもの)に任命されます。そして、貿易が行われていた広東の軍隊を彼の指揮下に置き、自由にやらせることにしました。

 そこで林則徐は、実力行使にでました。
 ぐずぐずしていると、アヘン貿易で賄賂をもらっている官僚や、林則徐の出世を妬む勢力に解任され無いとも限らないからです。
 
 彼は広東に行きます、もちろんアヘン貿易関係者を摘発。禁制品の交易という商売を辞めないと処刑するぞ!
 これは、公行と呼ばれる、外国との貿易を許されたいた中国側の特権商人に対して出されたおふれです。
 また、イギリス商人にも取締りを出します。

 これに対しイギリス海軍大佐で貿易監査官のチャールズ・エリオットは「やれるもんならやってみろ」と、要求に応じません。そこで林則徐はイギリス商館を軍隊で包囲します。包囲されてしまうと、水も食糧もなくなり、とうとうエリオットも屈服。1425トンものアヘンが没収され、安全に、かつ完全に処分するために様々なテストをした結果、池を掘って、生石灰をアヘンに混ぜ、水を加えて化学反応を起こし、高温を出させて固まらせて処分します。

 そして、外国商人に対しアヘンを売らないという誓約書の提出を命じれたのですが、怒り心頭のエリオットは「絶対に出すな!」とイギリス商人に圧力をかけ、出させませんでした。この結果、イギリスは広州から閉め出され、エリオット達は海上での生活を余儀なくされました。なお、彼らへの食糧の供給(販売)は、市価より高い値段ですが黙認されています。

 一方で、アメリカ商人もこの頃貿易に来ていたのですが、こちらはそもそもアヘンなんか売らないので、さっさと提出し、イギリス無き後の貿易で儲けています。そのうちに、エリオットの方針に逆らい、宣誓書を提出してさっさと元の貿易に戻るイギリス商人が出始めました。

 エリオットの面目は丸つぶれとなったのです。黙ってはいられません。
 彼は鬱憤晴らしとばかりに砲撃しまくり、退去しました。退去したあと、林則徐が「勝った!」と政府に報告しているのは、ご愛敬と言ったところでしょうか。まあ、手出しできなかったと報告は出来ないでしょうけどね。しかし、この後さらなる悲劇が清を襲うことになります。

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