第8回 ヘレニズム文化
○ギリシャ文化とオリエント文化の融合
アレクサンドロスが大帝国を作り上げたこの時代、文化のほうも”グローバル化”が進み、ギリシャ世界とオリエント世界が交流することによって出来る新しい文化が花開きました。アレクサンドロス大王死後も、後継国家であるプトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリア、アンティゴノス朝マケドニアなどでは、エリート層がコイネーと呼ばれるギリシャ語を公用語とし、ギリシャ文化と現地の文化を融合させていきます。さて、この時代の文化をヘレニズム文化といいます。ヘレニズムとは、ギリシャ人たちが自分たちのことを「ヘレネス」と言うことに由来。つまり、ヘレニズムとはギリシャ風という意味を持たせた言葉で、ドイツの歴史家であるドロイゼン(1808〜54年)による造語です。
特にヨーロッパにおいてはローマ文化に多大なる影響を与え、現在のヨーロッパ文化の基礎の1つ。
さらにインド方面へは仏教と融合したガンダーラ文化として波及し、それはさらに中国、日本と伝わり、日本では飛鳥文化にまで影響しています。日本史ではお馴染み、中宮寺の微笑みの貴公子、ハンカチ王子こと(なんじゃそりゃ)菩薩半跏像の微笑んだアルカイック・スマイル(古典的微笑)や、法隆寺の百済観音像の微笑と、丸みの帯びた長身の姿は、ギリシャ風の面影を少し残しているわけでして。
○アレクサンドリア
さて、この文化のけん引役として特に重要なのがエジプトのアレクサンドリアという都市。プトレマイオス朝の王が文化事業を奨励したことから学術の聖地となります。特にプトレマイオス朝の創始者であるプトレマイオス1世が建造させた、アレクサンドリア図書館には古今東西の膨大な資料を収集し保管。その数たるや70万巻にも及んだとの話もあり、もちろん閲覧することが可能ですから、これまた東西の有名な研究者たちが次々と資料を求めて集まってきます。
さらに、ムセイオンと呼ばれる学術研究所も大きな役割を果たします。ここはアレクサンドリア図書館の上位に位置する機関で、国王(ファラオ)肝いりで、有名な研究者たちを集めて学問の発展に日々、研究が続けられていました。英語のミュージアム museum の語源となったのも、実はこれ。
しかし残念なことに、エジプトが衰退すると維持が厳しくなり、これらは5世紀までに略奪や放火などで消滅しました。
○自然科学
さて、それではまずは自然科学の分野から。有名なのはエウクレイデス(ユークリッド 前330〜260年頃)や、アルキメデス(前287頃〜230頃)でしょうか。
ユークリッドの名前の方が有名でしょうが、エウクレイデスは平面幾何学の大成者で、「幾何学原本」などの著作を残しています。平面幾何学なんて、数学が超苦手な私には全く理解できませんが・・・。彼の「幾何学原本」は、現在でも数学の基礎的なもので、欠かすことが出来ないもの。なお、ギリシャ人でアレクサンドリアで研究や教育を行いました。
アルキメデスは、ギリシャじゃなくてローマの南、シチリア島シラクサの人。「てこの原理」や円周率を発見した人。というわけで、この人も現在にも残る素晴らしい業績を残していますね。特に、アルキメデスの原理は、浮体(比重)の原理として非常に重要なもので、静止した水(液体)におかれた物体は、その物体が押しのけた液体の体積に等しい浮力をうけて軽くなる、というもの。船が水の上で浮くことなんかも、彼の発見がベースですね。
その原理の発見についてエピソードが。もちろん、本当にあったかまでは不明ですが。
ある日、シラクサの支配者であったヒエロンは金細工職人に金塊を与え、純金の王冠を造らせました。しかし出来上がった王冠を見たヒエロン。
「ううむ、純金にしては色がおかしい。一部の金を盗んで、それと同じ量の銀を混ぜたじゃないか。」
と疑います。そこで
「アルキメデスよ、この王冠を壊さずに、銀が混じっているか検証しろ」
と命じます。悩んだアルキメデスでしたが、ふと自分が風呂に入ったときに、水があふれることからヒントを得ました。すなわち、もしも水を満杯にした2つの容器に、それぞれ純金(仮に500g)と、王冠(仮に500g)を入れたとしましょう。王冠が本当に純金で出来ていれば、物体の密度は同じなんだから、純金500gを容器に入れたときと同じ量の水があふれ出てくるはず。
・・・と言うわけで実験したところ、やはり王冠は銀が混ざっていたことが判明したとさ。
金細工職人、きっと死刑になったんだろうなあ。
そんな天才的なアルキメデスでしたが、第2時ポエニ戦争で、ローマとカルタゴという2つの国家が戦争をやっていたときも砂の上で数式を書きながら数学に熱中しており、シラクサにやってきたローマ兵に「研究の邪魔をするな」と言ったら殺されてしまいました。
長くなってしまいました。そのほかには、太陽中心の宇宙像を考えたアリスタルコス(前310〜230年頃)、解剖学者で神経や脳髄を発見したヘロフィロス(前3世紀前半)などがいます。
○哲学
倫理の授業では必須。絶対に覚えておかないといけない2人が有名。1人が、禁欲主義のストア派の創始者ゼノン(前335〜263年)。欲望を抑えて、理性に従い心の平静(アパテイア)に到達しなさい・・・と、なんか仏教で悟りを開くことみたいな雰囲気ですが、そういう考え方を提唱しました。また、当時のブームだった世界市民主義(コスモポリタニズム)に影響を受け、理性は世界に普遍的なものだと考えました。
もう一人が、快楽主義のエピクロス派の創始者エピクロス(前341頃〜270年頃)。死後の世界を恐れても意味は無く、精神的に快楽を得るアタラクシアの状態が理想だ、と考えた人です。快楽主義なんていうと、遊びまくるのが一番と誤解されかねませんが、そうではなく、知的な満足を得て楽しもう!ということです。人生を豊かに、いいですね〜。
○美術
特に有名なのはミロのヴィーナス。1820年、ミロ(ミロス)島で発見された、前2世紀末の美しい女性の銅像。腕がなくなっていますが、それだけに逆に、どういう姿をしていたのか、想像欲を掻き立てますね。
そのほか、前190年にロードス島の人々が、セレコウス朝アンティオコス3世に勝利した記念にして造ったサモトラケのニケの像も有名。空から翼を持った女神が、サモトラケ島に降り立った、ということを表現しています。まさに、勝利の女神!!
というわけで、実はこのページを作成するまで4年も放置していましたが、造り始めてしまえば、実に3時間ほどで執筆。いやはや、早くやれよといった感じですね。トホホホ・・・。
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