第58回 第一次世界大戦前夜
○三国同盟VS三国協商
この頃のヨーロッパは、まさに昨日の友は明日の敵、昨日の敵は明日の友状態。1890年、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は「これからはロシアとなんか、手を組まぬ!」としてロシアとの再保障条約の更新を拒否しました。何故手を組まないことにしたかというと、今までのお話で見てきたように、ロシアが虎視眈々と狙っていたバルカン半島や中東にヴィルヘルム2世も目をつけ始めたからです。
すなわち、ベルリン、イスタンブル(かつてのビサンティウム)、バクダードという3つの都市を結ぶ、バクダード鉄道を進めるのです。この3都市、共にBからはじまるので、この政策を3B政策といいます。ちなみにイギリスは、南アフリカのケープタウン、エジプトのカイロ、インドのカルカッタを拠点として結ぶ3C政策を採っていました。当然、両者にらみ合いの格好。対立が始まります。
こうしてまず、ロシアは1891〜94年にかけて、フランスと露仏同盟を結びます。
つまり、ドイツとオーストリア=ハンガリー二重帝国を挟み込んだ格好になります。
一方でイギリスは、これまでどこの国とも深い同盟を結ばなかった光栄ある孤立政策を改め、ドイツを牽制するためにはフランス、ロシアを牽制するために日本に目をつけます。日本も日清戦争で清から奪い取ったはずの遼東半島をロシアの圧力で奪われ、さらに目をつけていた朝鮮半島も獲られかねない勢いだったので、ロシアと対抗するための味方が欲しかった。こうして、1902年に日本とイギリスは日英同盟を締結し、2年後にはフランスと英仏協商を締結。そしてご存じの通り、日本は日露戦争でロシアに辛勝します。
こうなるとロシアも南下を諦めざるを得ない。しかも、「日本ごときに敗北したのか」と支配下の地域から「ロシアにかつての栄光はない」と独立の気運も高まっていくのです。さらにロシアは、ドイツとオーストリア=ハンガリー二重帝国とバルカン半島での覇権をかけて争うようになります。こうしてロシアはイギリスと和解することにし、1907年に英露協商が成立。
こうして三国同盟・・・ドイツ&イタリア&オーストリア VS 三国協商・・・イギリス(+日本)&フランス&ロシア
という構図が成立します。・・・が、現実にはイタリアは、オーストリア領内のトリエステ、南チロル地方を「未回収のイタリア」として、「それはイタリアの領土だ、返せ!」と主張し、対立しているんですけどね。
○ヨーロッパの火薬庫・バルカン半島
さて、ヨーロッパ列強は世界中で植民地獲得に狂奔し、時には大規模な戦争をやっていましたが、お膝元のヨーロッパでも「バルカン半島」というのをどこが支配下に納めるか、ということで相争っていたのであります。特に、オスマン=トルコからの独立を!とスラブ系民族達がパン=スラブ主義を唱え、団結し、実際にギリシャなどは独立したのは前に見たおとりです。ところが、スラブ民族というのはバルカン半島だけにいるわけではありません。
そう、特にオーストリア領内ではハンガリーなど、帝国領各地にいたわけであります。そうすると、このパン=スラブ主義が拡大し、スラブ民族はみんなで独立しよう!なんて言われてしまうと、オーストリア帝国が崩壊してしまいます。そこで、ドイツに支援してもらいながらバルカン半島に何かと干渉するようになりました。
一方、オスマン=トルコ帝国では青年トルコ革命というのが起こります。
これは、スルタン(君主)の専制的な手法に反発した若者達が、「青年トルコ(統一と進歩委員会)」を結成し、首都に向けて進軍したもの。そして1908年、停止されていた憲法(ミドハト憲法)を復活させ、政権を握ったのです。しかし、これはオスマン=トルコ帝国の支配下にあった地域では「独立のチャンス」と映ります。
そこでヨーロッパではブルガリアが独立を宣言します。
これを見たオーストリア=ハンガリーは、「この動きが広がってはマズイ」ということで、管理下にあったボスニア=ヘルツェゴビナを併合します。「お前ら、うちから独立しようと考えるんじゃねえぞ」というわけですな。しかしこの動き、セルビアから猛烈な反発を買います。なにしろ、セルビアは「そこはうちの領土のはずだ!」と主張していたからです。
そして、ロシアもバルカン半島に影響力を出したい。
折しも、オスマン=トルコ帝国はイタリアと戦争し、リビアのトリポリ、キレナイカを奪われていました。そこでセルビア、ブルガリア、ギリシャ、モンテネグロのバルカン半島4ヶ国が「トルコに復讐し、ヨーロッパから追い出す絶好のチャンス」と考えていたんですね。そこでロシア、「よっしゃ、ワシが支援したるで」「それは有り難い」となり、4ヶ国はバルカン同盟を形成。そして1912年、トルコに対し宣戦布告です。これを、第1次バルカン戦争といいます。
そしてトルコは敗北し、紆余曲折の末、翌年にロンドン条約が締結。アルバニアやマケドニアをはじめ、殆どのヨーロッパ内の領土をオスマン=トルコは割譲する羽目になりました。ところが、割譲された領土をどの国家が獲得するかでブルガリアと、セルビアを中心とする他の3国が対立。こうして第2次バルカン戦争が勃発します。
面白いのは、セルビア側にはルーマニアも味方についた他、なんとオスマン=トルコ帝国も味方しました。
こうなるとブルガリアもたまりません。「すんません、和平を・・・」となり、多くの領土がセルビア、オスマン=トルコなどに持っていかれてしまいました。ブルガリアとしては面白うはずがありません。ドイツ、オーストリアなどの三国同盟側に助けを求めていきます。一方、オーストリア=ハンガリー側は「やばいなあ、セルビアがバルカン半島で大きな力を持ち始めた。」と警戒。
第1次世界大戦勃発まで、刻一刻と迫っていました・・・。
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