第6回 1955年〜64年(1):人類、ついに宇宙へ
○今回の年表
1955年 | 4月18日 | 全体 | インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ会議開催 |
5月14日 | ヨーロッパ | ソ連陣営がワルシャワ機構を結成。 | |
11月15日 | 日本 | 自由党と日本民主党が合併し、自由民主党が誕生。 | |
1956年 | 1月1日 | アフリカ | スーダンがイギリスから独立。 |
2月25日 | ソ連 | ソ連共産党第一書記ニキータ・フルシチョフがスターリンを批判。 | |
3月3日 | アフリカ | モロッコがフランスから独立。 | |
3月20日 | アフリカ | チュニジアがフランスから独立。 | |
10月23日 | ヨーロッパ | ハンガリー動乱勃発。 | |
1957年 | 10月4日 | ソ連 | 人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。 |
1958年 | 1月1日 | ヨーロッパ | 欧州経済共同体と欧州原子力共同体が設立される。 |
1月31日 | アメリカ | アメリカ初の人工衛星、エクスプローラー1号打ち上げ。 | |
10月1日 | アメリカ | NACAがNASAに名称変更。 | |
10月2日 | アフリカ | ギニアが独立。 | |
1958年 | 1月8日 | ヨーロッパ | シャルル・ド・ゴールがフランス初代大統領と就任。 |
3月10日 | 中国 | チベット蜂起が発生。 | |
6月3日 | 東南アジア | シンガポールがイギリスから独立。 | |
9月14日 | ソ連 | 月探査機「ルナ2号」が月に衝突し、月面に到達した初の人工物となる。 | |
9月30日 | 中国・ソ連 | ソ連のフルシチョフ首相が毛沢東と北京で会談。共同声明出されず、対立が表面化。 | |
12月1日 | 全体 | 南極条約にアメリカ、ソ連、日本、イギリス、フランスなど12か国が調印。 | |
1960年 | 1月1日 | アフリカ | カメルーンがフランスから独立。 |
4月4日 | アフリカ | セネガルがフランスから独立。 | |
4月27日 | アフリカ | トーゴがフランスから独立。 | |
5月22日 | 南アメリカ | チリ地震が発生。日本にも津波で大きな被害が出る。 | |
6月26日 | アフリカ | マダガスカルがフランスから独立。 | |
7月27日 | 全体 | 経済協力開発機構(OECD)創設。 | |
8月3日 | アフリカ | ニジェールがフランスから独立。この他アフリカで、多くの国が続いて独立する。 | |
8月20日 | ソ連 | スプートニク5号が世界で初めて生物(犬)を宇宙から生還させる。 | |
9月14日 | 中東など | 石油輸出国機構(OPEC)結成。 | |
10月1日 | アフリカ | ナイジェリアがイギリスから独立。 | |
11月28日 | アフリカ | モーリタニアがフランスから独立。 | |
12月20日 | 東南アジア | 南ベトナム解放民族戦線結成。 | |
1961年 | 1月20日 | アメリカ | ジョン・ F・ケネディがアメリカ大統領に就任。 |
4月12日 | ソ連 | ソ連の空軍少佐ユーリー・ガガーリンが、人類初の宇宙飛行に成功。 | |
5月16日 | 韓国 | 朴正煕ら軍事革命委員会によるクーデタ(5・16軍事クーデター)が起き、軍事政権が誕生する。 | |
8月13日 | ヨーロッパ | 東ドイツがベルリンの東西ベルリンの境界を封鎖。後に、いわゆるベルリンの壁を設置し自由な行来が出来ないようにする。 | |
1964年 | 7月 | 全体 | ジュネーブ会議が開かれ、インドシナ休戦協定が締結。 |
10月 | アメリカなど | 西側9カ国会議(パリ協定調印、西ドイツの主権回復、NATO加盟を決定)。 | |
11月 | 中東 | アルジェリア独立戦争。 | |
11月 | 中東 | エジプト第2次革命。ナセルが実権を掌握。 |
○はじめに
1960年代・・・とした方が分かり易いかな?と思いながらも、1945年から10年ずつ見ていく以上、少々中途半端な数字になってしまうのは大変申し訳ありません。さて、今回扱う1955年から1964年の10年間では大きく分けて2つの出来事が特筆されます。まずは、1960年にアフリカ諸国が次々と独立を果たしたこと、それからソ連とアメリカの軍事競争の一環として、宇宙開発競争が激化。ロケットを発射する技術、通信等に劇的な変化をもたらす人工衛星の技術が磨かれ、さらに人類はついに宇宙空間へ行くことに成功します。
まずはこの、宇宙開発についてご紹介しましょう。
○V2ロケットから本格的に始まる
いまや当たり前のように打ち上げられているロケットですが、その技術自体は11世紀に中国が兵器としてロケットを使用するなど、短い距離での打ち上げには成功していました。しかし、これが長距離の打ち上げに成功するのには長い時間がかかり、ナチス・ドイツが戦前に開発したV2ロケットまで待たなくてはなりません。V2ロケット (ロンドン・サイエンスミュージアムにて)
これは世界初の軍事用液体燃料ロケット(弾道ミサイル)で、名前の由来は報復兵器第2号 (Vergeltungswaffe 2) より。宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスが命名しました。そして、ナチス・ドイツが降伏すると、その技術と技術者の奪い合いが始まり、その中でアメリカ、ソ連は互いに技術の発展に多額の予算と人員を投入しました。
○ソ連、世界初の人工衛星を打ち上げ
当初、宇宙開発技術をリードしていたのはソ連でした。まず1957年8月、ソ連はセルゲイ・コロリョフ(1907〜66年)を中心にして開発したR−7(ロケット)によって、世界初のICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射実験に成功します。ICBMとは、後に有効射程が5500km以上の弾道ミサイルと定義されたもので、、Intercontinental ballistic missileの略。これによって、ソ連はアメリカを直接攻撃する技術を手に入れます。しかも、核弾頭を載せればアメリカに対して核攻撃も可能。
これはアメリカの安全神話を崩壊させる重大な出来事でした。
さらに追い討ちをかけるように同じ年の10月4日、 R−7を元に開発したスプートニク 8A71PSというロケットを用いて、人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。世界で初めて、人工衛星が地球の周りを回るようになりました。スプートニクとはロシア語で「旅の道連れ」を意味します。ちなみにこのロケット、当時の西側陣営では「A」あるいは「SL-1」と呼ぶんでいます。
これだけでもアメリカには衝撃的だったのですが、11月には同じロケットを用いてスプートニク2号が打ち上げられます。このスプートニク2号には、生命が生きていられる気密室を備え、そのなかに雌のライカ犬が1頭乗せられていました。この犬は、世界で初めて宇宙に出た地球の哺乳類となりました。
・・・が、この段階では回収する技術は無かったので、犬は生きて地球に戻ることは出来ませんでした。
○本格的宇宙開発競争の幕開け
この一連の動きにはアメリカをパニックに陥らせるほど驚かせます。それまでソ連の技術を軽視していたのですが、アメリカを超えていたこと、そして前述のように軍事兵器に転用されればアメリカの大きな脅威になること。そして、軍事技術で優位に立ったんだぞ、というソ連の宣伝(プロパガンダ)に敗北してしまったことです。アメリカも手をこまねいていたわけではなく、1955年にアイゼンハワー大統領は、既に陸海空軍より合計3つ提案のあったロケット計画の中から海軍の「ヴァンガード計画」を選び、ソ連がスプートニクを打ち上げた同じ年の1957年の12月6日に、人工衛星を載せたヴァンガード・ロケットを発射しますが、発射台で爆発。
ソ連に多少遅れながらも成功を収めるはずが、見事な失敗を内外に示してしまいました。
そこで政府は、陸軍に所属しているヴェルナー・フォン・ブラウン(1912〜77年)というドイツ出身の技術者に期待を託します。彼はドイツ時代にはV2ロケットの開発に主体的にかかわった人物でしたが、仲間と共にアメリカに亡命していました。
そして、フォン・ブラウンはアメリカ政府の期待に応え、1958年1月31日、自らが設計したジュピターCロケットを用いて、人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げに成功しました。これにより、アメリカにも本格的な宇宙探査時代が到来します。1958年7月29日には、NASA(アメリカ航空宇宙局 =the National Aeronautics and Space Administration)が発足しています。
その後、アメリカとソ連は次々とロケットを打ち上げ、気象衛星や、通信衛星、太陽観測衛星、偵察衛星など、様々な用途に使う人工衛星を宇宙に送り出します。こうした技術は、元々は軍事技術がベースであったとは言え、それから確実に私たちの生活をより便利に変え、さらに宇宙の謎を解明していくことになります。
さて、こうしてロケットの発射技術が確立していくと、次はいよいよ人間を宇宙に送り込み、そして帰還させたいと考えます。フォン・ブラウンやコロリョフらは、その中心として互いの国で技術開発に取り組んでいきます。両名とも宇宙開発を語る上で、欠かせない名前ですね。ただし、ソ連は宇宙開発の技術者を秘密にしていたため、両名の存命中に互いを知り合うことは無かったそうです。
○ソ連、人を宇宙から地球に帰還させる
さて、人類を生きて宇宙から地球に戻すためには、大気圏に再突入可能な宇宙船が必要です。そこで、ソ連のコロリョフらは、ボストーク(ヴォストーク)の開発を開始。これをロケットに載せて打ち上げ、地球に戻すことにします。ちなみにボストークとは、東方という意味です。その度重なる試験実験の結果、ソ連は1960年9月18日、スプートニク5号でベルカとストレルカの二匹の犬ほかラット多数を地球周回軌道に載せた上で、さらに無事に地球へ帰還させることに成功します。これで、ボストーク開発計画に弾みがつきました。
そして1961年4月12日、ソ連の空軍少佐ユーリー・ガガーリンが人類初の宇宙飛行に成功します。彼はボストーク1号で、1時間48分にわたって地球を回る軌道を1周し、ロシア南部の牧場に降り立ちました。「地球は青かった」という彼の名言とされる言葉は非常に有名です。
実はアメリカもマーキュリー計画を発動して、ソ連に対抗していました。その結果、ソ連に遅れること1ヶ月の5月5日、フリーダム7号でアラン・シェパード中佐が15分間、軌道外弾丸飛行を行うことに成功し、地球に帰還しています。しかし、2位で終わったことに変わりは無く、この段階では地球1周も出来ていません。
これでは国威発揚になりません。そこでアメリカのジョン・F・ケネディ大統領は「1960年代末までに、人類を月に立たせる」と宣言。巻き返しを図っていくことになります。これによってアポロ計画が発動します。
しかし、この後しばらくはソ連優位で新たな成果が出されます。1962年8月11日から15日にかけて、ボストーク3号と4号を同時に打ち上げ、1人乗りカプセルの2基のランデブーに成功。つまり、人類は初めて2人同時に宇宙に進出しました。さらに1963年6月にはワレンチナ・テレシコワが、初の女性宇宙飛行士として宇宙に行っているほか、1965年にはソ連のアレクセイ・レオーノフが人類初の宇宙遊泳に成功するのでした。
○月面を探査せよ!
また、先ほどのアポロ計画より以前から、月や太陽系の惑星の探査をめぐるアメリカとソ連の競争も激化。アメリカはパイオニア計画、ソ連はルナ計画を発動して、まずは月の探査からはじめます。こちらもソ連が優位に成果を挙げ、1959年9月12日打ち上げのルナ2号を月面に落下させることに成功しています。この技術的優位が逆転するのは、次の10年ということになります。
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