第29回 1990年〜99年(3):ソ連の崩壊
○クーデターの発生
これまで見た通り、ソ連はゴルバチョフによって政治経済の抜本的改革を目指したペレストロイカ(改革)や、グラスノスチ(情報公開)などによって、これまでの仕組みに大きなメスを入れ始め、東欧諸国の民主化も基本的には弾圧を行わず、東西冷戦の終結につながりました。さらに1990年、ゴルバチョフは共産党一党独裁からの転換を図り、憲法を改正してソ連の大統領に就任。ソ連という枠組みは維持したまま、新しい時代に対応しようと考えました。しかし、ソ連は実質的にはロシア共和国を核としながら、様々な国で成り立っており、離反の動きが発生します。
1990年には、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)が独立を宣言し、ゴルバチョフは1991年1月にソ連軍をリトアニアに派遣し13人の死者を出します。これは、ゴルバチョフへの支持を失わせる要因の1つとなりました。
ソ連とロシアの政治の中心 クレムリン
一方、共産党守旧派からはゴルバチョフの改革が、とにかく気に食わない。
ゴルバチョフが、ソ連を構成する15の共和国全てに主権の拡大を認める、新連邦条約の調印を決定したことに対し、ついに我慢の限界、ということでゲンナジー・ヤナーエフ副大統領(1937〜2010年)、ウラジーミル・クリュチコフKGB議長(1924〜2007年)、ヴァレンチン・パヴロフ首相(1937〜2003年)ら8人、まさにゴルバチョフの側近たちが国家非常事態委員会を名乗り反旗を翻します。
彼らは、1991年8月18日にクリミア半島の別荘で休暇を過ごしていたゴルバチョフ大統領を軟禁すると、8月19日にタス通信を通じて、「ゴルバチョフ大統領が健康上の理由で執務不能となりヤナーエフ副大統領が大統領職務を引き継ぐ」と発表します。
この動きに待ったをかけたのが、ロシア共和国のボリス・エリツィン大統領(1931〜2007年)でした。彼は、1990年5月のロシア共和国議長選挙に当選し、ロシアの指導者として大統領職を新設。1991年6月に、ロシア国民による投票によって、ロシア大統領に就任していました。
そしてロシア共和国最高会議ビル(別名:ホワイトハウス)の前で、戦車の上に乗って「クーデター反対」をラジオなどを通じて読み上げ、2万人に及ぶ市民が集結。ソ連軍も多くがクーデター派に従わず、クーデターは失敗に終わりました。自殺した1名を除き、ヤナーエフら7人が逮捕されましたが、酒好きのロシアの人らしく、ヤナーエフはウォッカで泥酔していたそうです。甘く見ていたのか、単純に我慢できなかったのか、ヤケ酒だったのか・・・。
○ソ連の崩壊
ゴルバチョフは救出されますが、もはや権威は失墜し、エリツィンとの力関係が逆転します。8月24日にゴルバチョフはソ連共産党書記長を辞任。8月28日にはソ連最高会議は共産党の活動全面停止を決定し、いよいよソ連は幕引きに入ります。そして、1991年12月8日、ロシア、ウクライナ、ベラルーシ3国が「独立国家共同体」(CIS)協定に調印して、ゆるやかな国家連合体に移行。12月21日には、グルジアと、ソ連から完全に離れることになったバルト三国を除くソ連を構成する15のうち、11の共和国が、独立国家共同体設立に調印しました。(グルジアは1993年から)
そして、ゴルバチョフ大統領は12月25日に大統領辞任を発表し、翌日、ソ連最高会議はソ連邦の消滅を承認。ここに、ついにソビエト連邦は消滅したのでした。これに前後して、市民によってレーニン像が引き倒される姿は、一つの時代の終焉として、多く取り上げられました。
○エリツィン時代
ちなみに詳しくはロシア史のページを参照していただくことになりますが、エリツィン大統領の時代は、なかなか経済運営がうまくいかず、急激に資本主義体制へ移行してしまったので、一時は「明るくなったサービス業」などが取り上げられましたが、ハイパーインフレ、貧富の差の拡大や、マフィアや財閥の暗躍、官僚の腐敗などが大きく問題になります。首相も次々と交代したり、反エリツィン派が最高会議ビルに立て籠もったこともありました。また、1994年12月には独立を宣言していたチェチェン共和国に対して軍を派遣し、グロズヌイへの空襲などによって10万人以上の市民の死者を出したことは、国際社会から大きな非難を受けました。それでも、チェチェンのジョハル・ドゥダエフ大統領(1944〜96年)を戦死させ、武装勢力側も穏健派マスハドフ参謀長が、ロシアとの和平交渉を開始します。
1997年5月、「独立問題は5年間棚上げ」で合意し(平和と相互関係に関する条約)、さらにマスハドフはチェチェン大統領に当選します。こうして、ロシアによるチェチェンの独立黙認という曖昧な決着を付け、ロシア軍は撤退。これでお仕舞い・・・になるはずだったのですが。強硬派はマスハドフ大統領の言うことを聞かず、テロなどを行っていきます。
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