はじめに・東南アジアの初期国家概論

●様々な国家の興亡
 東南アジアの歴史について、まずは、国の変遷についてごく大雑把に見ていきましょう。知らない国名が詳細付きで、後から後から山ほど出てくると、混乱しますからね。上の地図を参考にしながら読んでください。
 まず、基本的に1000年近くまで北ヴェトナムは中国に支配されています。そして、東南アジア人の国として最初に登場したのがメコン川下流域すなわち現在にカンボジアあたりの扶南(ふなん)。これは、1世紀か2世紀〜7世紀までありました。

 一方、南ヴェトナムにはチャンパーが2世紀から15世紀まで長く存在します。

 また、マレー半島では北部のバンバン漢字名 盤盤国)ランカスカ(漢字名 狼牙脩)やリゴール地方のタンブラリンガ(漢字名 単馬令)といった小国家群が長く存在し続けます。いずれも中国とつながりあり。

 そして、7世紀からインドネシアのスマトラ島辺りからシュリーヴィシャヤ王国が(滅亡時期はよく解っていない)、そしてそれに続くようにジャワ島よりシャイレーンドラ朝が登場し、いずれも中国とイスラム圏との中継貿易で栄えます。実は、この2つの王朝が同じか違うかはよくわかっていません。

 また同時期に大陸部では、メコン川中流域よりカンボジア(クメール 漢字名:真臘)が扶南より独立。さらに扶南を征服し強勢を誇ります。しかし8世紀に陸真臘(ラオス地域)と水真臘に分裂。さらにこれは802年にジャワバルマン2世という人物によって統一され、アンコール朝となります。そう、アンコール・ワットなど壮大な仏教建築を建造した王朝です。

 850年には、タイ北部でモン人によるドヴァーラヴァティーが成立。この国については、よく解っていません。ちなみにこの時にはタイ人の祖先はまだ中国雲南省あたりにいました。 

 一方、北ヴェトナムでは982年、黎桓(レーホアン)という人物により中国から独立を果たします。そしてすぐにチャンパーに侵攻し、これをさらに南に追いやりました。

 以上、とりあえず1000年までの流れをまとめてみました。ちなみに出てこなかった地域には基本的に原始的国家である首長国や小国家などが存在していたと考えてかまいません。

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