5回 ヴェトナム〜大越国〜の歴史

●大越国の成立
 中国の支配下にあったヴェトナム地域では、李朝(1009〜1225年)が成立し、事実上これで完全に独立。この李朝は、国号を「大越」と称します。

 大越の越はヴェトと読み、またこの越は、中国古代の春秋・戦国時代にあった越に由来します。元来、ヴェトナム人達は中国の華南地域にいたのでした。

 それが、南下してきたわけです。大越という国号は、王朝が変わっても19世紀まで使用されます。
 で、この李朝は中国の(960〜1127〜1279 北宋・南宋)の侵攻を受けますが、これを撃退。そして、宋が南に遷都して成立した、南宋とは安南国王の称号をもらい、仲良くしています。

 しかし、この李朝は伝統的なヴェトナムの豪族の勢いが強かったこと、それから農民に多大なる税をかけたうえ自然災害も発生。さらに1209年から宮廷内部の争いも起き、しかも暴動も起きます。こうした混乱の中、外戚の陳(チャン)一族によって廃されます。

●陳朝
 そして、成立した陳朝(1225〜1400年)。こちらは、中央集権化を進めていきます。そして、中国にならい行政制度や官僚任用制度である科挙を整えていきます。また、3度にはわたりモンゴル人が中国にたてた元(1271〜1368年)の侵攻を受けますが、これを撃退。日本同様、今でもヴェトナム人の誇りとして語り継がれています。

 ところが、日本で鎌倉幕府が滅びたように、陳朝も大きく力を失います。そして、やはり農民に多大なる税負担をかけたことから一揆が発生。1400年、官僚の胡季リイが帝位を奪います。

  この胡季リイは、荘園制や、それまでのヴェトナムや東南アジア地域で当然だった、奴隷制度の制限をはじめ、大胆な改革を推し進めますが(詳しくは後述)、明の侵攻を受け、捕まってしまいます。そして、しばらく明の支配が続きます。

●黎朝
 これを撃退したのが、黎利(レーロイ)が率いた抵抗です。黎利は即位し、黎朝(1428〜1789年)を建てます。黎朝の下、さらに改革は進められ、いち早く奴隷制度を廃止するなど、近代化を進めます。そして、南方にも進出し、ついにチャンパーを滅亡させます。そして、今のヴェトナム領の骨格を作るのですが、しかし16世紀には無能な王が続き、将軍の莫登庸(マクタンズン)が王位を奪います。

 これに対し、黎朝を再興せよと阮(グエン)氏と鄭氏が、莫登庸を倒し、黎朝は再興します。
 しかし、両雄並び立たず。
 ハノイに鄭氏政権が、
 中部のフエには阮氏政権が割拠して抗争をくりかえし、黎朝の皇帝は実権を失います。

 この争いは、キリスト教布教と富を求めたヨーロッパ勢力の策謀で対立があおられ、激化したのでした。そして最終的に黎朝大越国は、18世紀のタイソン(西山)党の反乱によって滅亡しました。これは、特権階層の支配に激怒した農民による反乱です。詳しく言えば、ヴェトナム中部クイニョンのタイソン(西山)村で、グエン・バンニャク(阮文岳)グエン・バンルー(阮文呂)グエン・バンフエ(阮文恵)という三兄弟が指揮した反乱。

 彼ら西山党によって、阮氏も鄭氏も両方とも政権は滅亡。西山党がヴェトナムを統一しました。最初は、黎朝のティエウトン(昭統)帝を認めていましたが、1787年、阮文岳が皇帝に即位(タイソン朝)。阮文呂をサイゴンを拠点とする東定王に、阮文恵をフエを拠点とする北平王に任命しました。

 と、そうなるとティエウトン(昭統)帝も黙ってはいられない。中国を支配していた大国「清」の乾隆帝に救援を要請。これは受諾され、救援軍が派遣されます。しかし1788年に来た救援軍は、翌年フエ王・阮文恵によって撃退され、乾隆帝は彼を安南国王として認めます。

 おや・・??ヴェトナムの皇帝は阮文岳のはずです。しかし、清が(国王)として認めたのは阮文恵。何故なら、彼は清の軍隊が侵入してきた1788年に皇帝を名乗っていたのです!!。当然、三兄弟に不和が生じます。

 こうして国力は弱体化し、阮文恵が亡くなると、かえってさらに状況は悪化します。ここに、昔のフエのグエン政権の生き残りのグエン・フック・アイン(阮福映)が反乱を起こし、タイソン朝は1802年に滅亡しました。ザ・ロン帝(嘉隆帝)としてグエン朝(阮朝)を開きます。最初に滅亡したのは、。滅ぼした側は(タイソン党)。さらに、復興したのも。紛らわしいですね。

 ところが・・・これは本来また今度の話なのですが、この時反乱に協力し、義勇軍を組織したのはフランスのキリスト教関係者。フランスの貿易拡大と、キリスト教を布教するため、彼に協力したのです。しかし、嘉隆帝もその後継者もフランスの力を警戒し、フランスに有利な計らいは何もしません。

 どころか、宣教師が殺されるようになります。そこで、フランス国王ナポレオン3世は一気に軍を派遣し、領土を割譲させ、保護国化に向けて動き出します。この後は、現代史で。ちなみに、この時代のヴェトナムで特筆される出来事は、商人階級が登場したことです。それは、この地域がヨーロッパにヴェトナム産の香辛料、中国の陶磁器の輸出などの貿易を行い力をつけてきたのでした。



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