第6回 ヒッタイト新王国VSエジプト
●両雄激突ッ!! |
さて、話を再びシリア・小アジア方面に戻しましょう。
ヒッタイト古王国が謎の海の民によって滅亡すると、アナトリア地域は混乱状態に陥ります。しかし、当然それを収拾する人物が出てくるもので、シュッピルリウマ1世(位 前1345〜前1320年頃)のグループが、再統一を実現し、ヒッタイト新王国を建国。ちなみに、彼はヒッタイト人の血よりも、東方から来たフルリ人という民族の血が濃かったらしいです。
ただ、歴代の王達は古王国の王の名前を継承し(○○3世とか、XX4世というように)、そしてシリア方面に進出。王家の内紛が起こっていたミタンニ王国を服属させることに成功します。ところが、この頃、ヒクソスを追い出したエジプトが、「攻撃こそ最大の防御」とばかりに、やはりシリアに進出してきたので激突。
シュッピルリウマ1世は、前1315年頃のカディッシュの戦いでエジプトのセティ1世に敗北してしまいます。しかし、エジプトはシリアを支配下におけなかったらしく、前1286年。ムワタリ2世VSラムセス2世により戦いが、やはりカディッシュで開始。今回は引き分けでしたが、この戦いは、世界最古の詳細な戦闘記録(軍勢の規模や作戦や偵察行動など)が、残っているものです。そして、次のハットゥシリ3世は、ラムセス2世と平和条約を結び、娘をラムセス2世に嫁がせて戦争を終結させます。これも、世界最古、原文が残っている条約です。
そんなわけで、50年間平和が訪れました。ところが、そんなヒッタイト新王国は、地中海を舞台に活躍をした「海の民」と総称される民族によって滅ぼされてしまいました。その後、シリアは北部のキズワットナ王国(新ヒッタイト)、ウラルトゥ王国などが成立しました。これらは都市国家群と呼べるです。これらはアラム人などに征服されながらも命脈を保ち、前715年にアッシリアのサルゴン2世によってついに滅亡させられました。
そうそう、ラムセス2世と言えばもう一つ。正規の、つまりきちんとした騎兵部隊を最初に編成した事でも有名です。騎兵自体はヒッタイトが有名なように昔から、記録の上では前2500年ぐらいから存在しています。で、この騎兵でございますが、古代戦車、もしくは馬車と呼べるタイプです。正しくはチャリオット。馬に2輪の簡単な車を引かせ、人間はそこに乗る。そして、槍や弓を使う。古代中国や、ローマ帝国でも一般的な戦闘兵器で、馬は2頭だったり3頭だったり色々です。
●おまけ 条約について |
まず、古代の条約は「誓約」という面が強く、今よりも拘束力が低いものです。もちろん、今での条約違反は多々ありますけど。それから、条約は国と国が結ぶものですが、近現代と古代では「国」というものの定義が違います。
詳しく話すと1冊本が出来ますが、簡単に言えば国民という概念があるか無いかとか、きちんとした統治機構があるか、法治国家であるかどうかとか、そういう事ですね。王様の私有物みたいな国も多く、もしくはムラの延長線上だったりね。
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