第12回 ユダヤ教とキリスト教と

○今回の年表

前332年 アレクサンドロス3世、エジプトを征服し、アレクサンドリアを建設。
前330年 アケメネス朝ペルシア、滅亡。
前323年 アレクサンドロス3世死去。後継者争いの勃発。
前317年 インドでマウリア朝が成立。
前312年 セレコウス朝シリアの建国。
前306年 プトレマイオス朝エジプトの建国。
前272年 ローマ共和国、イタリア半島を統一。
前248年 パルティア王国の建国。
前166年 セレコウス朝シリアに対し、ユダヤ人がマカベア戦争を起こす。
前4年 イエス・キリストの誕生。
132年 ユダヤでローマに対する反乱が発生。しかし、135年に鎮圧され離散する事になる。
162年 ローマ帝国、パルティアを滅ぼす。

○アレクサンドロス大王後のユダヤ

 ユダヤ人はバビロン補囚の後、アケメネス朝ペルシアのキュロス大王によってパレスティナに帰還させてもらい、廃墟となった故郷を宗教指導者達に従って再建します。そして、宗教的に強く結びついていきます。
 
 で、その次にアレクサンドロス大王が攻めてくる事になりますが、伝承によれば厚く保護されたらしい。そして、アレキサンドリアがエジプトに建設されると、 多くが移り住んでいったと言われています。それだけでなく、この時期は一大帝国の出現によって交易が大いに栄えたので、ユダヤ人達は、黒海沿岸やギリシアをはじめ、世界のあらゆるところに植民市を作るようになります。
 
 ところが、アレクサンドロス大王が死ぬとオリエント地域、ギリシア地域は大混乱状態に。特にパレスティナは昔から紛争が絶えないように重要な拠点。プトレマイオス朝エジプトとセレコウス朝シリアが両雄を巡って戦争をします。そして前198年、シリアが勝利し、アンティオコス3世・4世はユダヤ教を非合法化。ヤハウェに代わり、ギリシアの神ゼウスを押しつけます。
 
 そこで、前166年。当然のごとく反乱が起きます。指導者はユダヤ教の祭司マカベア家のマタティアと息子達。 これがマカベア戦争(前166〜前142年)で、激しい戦闘の末にユダヤ側が勝利! ここに、ユダヤ人は独立王国を久しぶりに建国し、マカベア朝(別名:ハスモン朝=マカベア家の先祖の名前)が誕生します。彼らは、ユダヤ教1色に国家を染めます。

 ところが、ここも王家の内紛に悩み、ローマ共和国の介入を招きます。ユダヤ教の中では親ローマ的でヘレニズム文化もよしとするサドカイ派と、反ローマで厳格なユダヤ教の規律を求めるパリサイ派の2つの党派に分かれ争い、それとはまた別にエッセネ派と言う禁欲主義をモットーに、同じ人間への冒涜だと初めて奴隷制にも反対した集団も現れます。
 
 サドカイ派とパリサイ派は、お互いに権力を握るため陰謀や買収を繰り広げ、人々を失望させます。ローマは前63年、この隙にマカベア朝を断絶させ、保護国化に成功。親ローマ的なヘロデを王位につけます。ヘロデはユダヤ教徒でしたが、アラブ人です。そのためユダヤ社会からは非常に評判が悪い。そっぽを向かれた彼は、ユダヤ人に徹底的な弾圧でのぞみました。そして、王家の力が衰えるとローマは総督が派遣し、重税をかけるようになりました。しかも、ローマの人々はユダヤ教に無理解です。

○イエス・キリストの誕生とローマ

 こんな状況ですから、人々は救世主(メシア)を待ち望むようになります。そんな中、ユダヤ教の改革者として現れたのがイエス・キリストです。キリスト教では色々定義されているみたいですが、歴史的に見ればあくまでイエス自身はユダヤ教の改革者であったと考えられています。

 しかし神の愛を説いた彼は、ユダヤ人の指導者にも民衆にもあまり理解されず、うるさいっというわけで、処刑されてしまいます。ゆえに、キリスト教ではユダヤへの恨みが深い。その後、彼の弟子達によってキリスト教団として教えが受け継がれ(私が思うにドンドン変容され)、他地域において普及していきます。まあ、この辺についてはここでは触れません。

 さて、ローマから派遣されてきた総督に対し、66年。狂信的なユダヤ教徒である熱心党(ゼーロータイ)と呼ばれる集団が反乱を起こします。が、暴君として有名なローマ皇帝ネロの派遣した軍に鎮圧されました。その後は、ローマの厳しい支配は続くものの、ローマ皇帝ハドリアヌス(位117〜138年)は、イェルサレムを再建させました。ところが、街を再建してもらったところまでは良かったものの、ハドリアヌスをたたえさせられ、ユダヤ教の重要儀式である「割礼」なる物が禁止に。割礼とは、男性器や女性器の一部の皮を切り取る事で、ユダヤ教では生後8日目の男性に行いました。

 で、132年に大反乱が発生。しかし、135年には鎮圧され、ユダヤ人達はイェルサレムから追放され、入ったら処刑にされ、属州ユダヤの名前は属州シリア・パレスティナに変更。こうして世界各地に離散していく事になります。これを、ディアスポラと言います。

 その後もローマとユダヤ教の対立は続き、特にキリスト教がローマの国教となってから、ユダヤ教は弾圧されました。ユダヤ人達はその後、バビロニアや引き続きパレスティナ地域、それからスペインなどのヨーロッパへと移り住みます。メソポタミアではイスラム教成立後もユダヤ教徒・ユダヤ人は税金(人頭税)さえ払えば安全でしたが、ヨーロッパではそれこそヒトラーの大虐殺まで、延々とユダヤ教とユダヤ人への粛清が続くのです。

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