第24回 イル・ハン国によるアラブ統治

○今回の年表

1250年 エジプト・シリアのアイユーブ朝の滅亡。マムルーク朝が誕生。
1258年 アッバース朝の滅亡。この頃、事実上イル・ハン国が成立
1260年 イル・ハン国軍、シリアでマムルーク朝に大敗。
1273年 (ドイツ)ルドルフ1世が神聖ローマ帝国皇帝に。ハプスブルク家の成立。
1274年 (中国・日本)元が日本に侵攻するが敗北。84年にも攻め込むがこれも失敗(文永・弘安の役)。
1299年 (トルコ)オスマン朝が成立。後のオスマン・トルコ帝国。
1308年 イル・ハン国がルーム・セルジューク朝を滅ぼす。
1318年 ラシード・アッディーン没。
1328年 (ロシア)モスクワ大公イヴァン1世、キプチャク・ハン国から独立。
1338年 (日本)足利尊氏が室町幕府を開く。
1353年 イル・ハン国の滅亡。
1368年 元が滅亡し、朱元障が漢民族王朝「明」を成立させる。

○イル・ハン国の成立とアッバース朝滅亡


 モンゴル帝国皇帝モンケ・ハンの命令で、その弟のフラグ(1218〜65年)は西へ遠征をしました。そして、途中でニザール派を壊滅させ、細々と命脈を保っていたアッバース朝の首都バグダートに到達。ついに第37代カリフ・ムスタースィムは降伏し、モンゴルの処刑の儀礼により絨毯に包まれ騎馬に踏み殺されました。

 そしてカリフの一族は、エジプトに逃げ、アッバース朝を倒して建国されていたマムルーク朝(1250〜1517年 マムルーク朝については次のページで解説)の保護を受けることになります。

 もちろん、落ちぶれたとはいえカリフを殺すなど今までに考えられないような事態で、これはスンナ派イスラム界に大きな衝撃を与えました。そしてフラグは、 中東全域を支配下に治めると、シリア・エジプトのマルムーク朝と交戦をはじめます。ところが、その直後にモンゴル皇帝モンケ・ハンが死去。モンゴルではクリルタイという、部族の長を決める会議があるのでフラグ自身はモンゴルへ・・。軍は部下のキト・ブカ・ノヤンに任せます。この人物は、ダマスクスなどを占領し、エジプトに攻め込もうとします。

 ところが、マムルーク軍も黙ってはいない。スルタンのクトズは、バイバルスを司令官に任命し、反撃開始。1260年、パレスティナのアイン・ジャールト(ゴリアテの泉)で行われた戦いで、フラグ軍は大敗します。ここでフラグ軍の進撃はストップし、以後はイラン・イラクで内政に力を入れます。

 ちなみにモンゴルに戻ろうとしたフラグでしたが、ハンの位をめぐって兄のフビライと弟アリクブケが内戦を始めたことを知ると、彼は「マルムーク朝が油断ならん。こりゃ、占領地確保が優先だな」と、イランの地にとどまり、この地にイル・ハン国(トルコ語で国の王の意)を建国します。といっても、別にモンゴル帝国から独立したわけではなく、まだ当時はモンゴル連邦の1共同体みたいな感じです。モンゴル帝国はこの後、フビライがハンの位に就き、彼が中国を支配する「」、モンゴル地域を支配するオゴタイ・ハン国、中央アジアを支配するチャガタイ・ハン国、そしてこのイル・ハン国が分割成立し、オゴタイ・ハン国のハイドゥと元のフビライ=ハン抗争をきっかけに完全に分裂します(*ただし、構図としてが元・イル・ハン国は仲がよく、イル・ハン国とチャガタイ・ハン国が領土をめぐって争う)

○イル・ハン国の盛衰

 フラグ死後、イル・ハン国は後継者争いで一時分裂の危機も迎えますが、フラグの曾孫・ガザン・ハン&宰相ラシード・アッディーンはこれを収め、最盛期を作り出します。ガザン・ハンはまず、イスラムと融合するために自らイスラム教に改宗。それから、ペルシア語や中国語にも精通し、さらに歴史学や医学・文学など学問も幅広くマスター。

 そんな彼の下、首都のダフリーズは学問の都として大発展。「大モンゴル」のネットワークを生かし、中国人やヨーロッパ人の学者も多く招かれます。また、宰相のラシード・アッディーンはペルシア文学最高といわれる「集史」を著わし、イル・ハン国のみならず、モンゴル全体の歴史書を完成させました。モンゴル人はもともと歴史書を残さないので、これは貴重な資料です。また、当然世界情勢についても書いてあるので、この時代を研究するに重要な著作です。

 そんなラシード・アッディーン。次のウルジャーイートゥー=ハン(位1304〜16年)にも重用されましたが、彼が没すると政敵によりウルジャーイートゥー=ハン毒殺の容疑をかけられ処刑されてしまいました。以後、イル・ハン国は衰退の道まっしぐら。1338年、フラグ直系のアブー・ザーイド=ハンが死去すると、有力者による分裂と後継者争いがヒートアップし、そして誰もいなくなった、つまりフラグの子孫はことごとく殺されてしまいました。1353年のことです。

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