●厳しい出だしとなったトルーマン
そんなわけで、ルーズベルトが死去し、トルーマンが大統領に昇格した時も、「(トルーマンは)ホワイトハウスの場所を知っているのか」などと影口をいわれる始末。のみならず、あまりにも存在の大きいルーズベルト大統領の後ということもあり、トルーマン新大統領に対する政府関係者達の反応は冷たいものでした。
そのような状況の中大統領に就任したトルーマン政権下の人物を二人紹介しましょう。
新国務長官には元判事のジェームズ・バーンズが就任します。彼はルーズベルト政権下で12年間国務長官を務めたコーデル・ハル元国務長官(在職1933〜1944年)の人脈に属し、トルーマン政権下で重きをなしましたが、いわばド素人のトルーマンを馬鹿にしており、トルーマンとの仲はあまり良いとは言えないものでした。
それから陸軍長官。
前政権から留任となった、ヘンリー・スティムソンです。この人物はT・ルーズベルト大統領(F・ルーズベルトの舅、在職1901〜1909年)からトルーマンまで、ハーディング大統領(在職1921〜1923年)を除く7人の大統領に仕え、フーバー(在職1929〜1933年)政権下で国務長官、F・ルーズベルト、そしてトルーマン政権下で陸軍長官とマンハッタン計画(原爆開発計画)の責任者を務めた政府内での重鎮の中の重鎮です。
以上の2名が、トルーマン政権の対日政策で重要なポジションを占めます。
一方、ルーズベルト政権下で蚊帳の外に置かれたトルーマンは、大統領になるまでヤルタ会談の経緯、原爆開発について何も知らされていませんでした。まさに一からアメリカの政治・外交の現実を学び始めるはめとなった、トルーマンだったのでした。