第33話:友人との再会
「え〜っと、結局ここはどこだ?」
「地下ですよ。先輩が先に走るのに付いてきたんですよ、僕は。」
自分が逃げてきた先を把握できないのは、逃げるのに必死だったから、ということだけが理由ではない。意識自体も、かなり朦朧としていた。
地下室の壁はコンクリートが剥き出しになった質素なものだった。壁の両側にはいくつかのドアが見える。大半は倉庫で、一部に仮眠室があるらしい。
その中でもひときわ大きな倉庫に入ってみる。ずらりと並べられた棚に、木でできた箱のようなものが大量に積まれている。
「なんですか、これ?…棺桶?!」
「ここも一応、避難所に指定されてたからな。大災害が起こったときなんかに備えてけっこう置いてあったりするんだよ。体育館とかの地下倉庫にもあるんじゃないかな。」
もしかしたら、その大災害というのは今現在のことを指しているのかも知れない。しかし、哀しいかな、動く死体たちは棺桶などには収まってくれそうもない。
他の倉庫も回ってみるが、特に変わった物は無い。掃除用具や、古くなって壊れた事務器具、大量のコピー用紙などが保管してあるだけだ。
今度は仮眠室を回ってみる。特に誰かいた、というわけでは無いが、部屋自体は、何の変哲もない、とは言い難かった。まず、ドアにマジックミラー製の覗き窓がついている。内側からは単なる鏡だが、外側から見れば部屋の中の様子は丸見えだ。さらにそのドアには鍵穴が二つあった。そのうちの一つは内側からはサムターンで開けられる普通のものだが、もう一方は内側から開けるのにも鍵が必要な特殊なものだった。
つまり、内部に人間を閉じ込めることができるのだ。
内側には鉄製の二段ベッドが二組。壁は例によって剥き出しのコンクリート。部屋自体はかなり狭い。もちろんエアコンなど付いているはずは無い。今の時期はまだいいが、真冬にここで寝たら凍死するんじゃないか?一応そういうことも考えているのか、布団だけは分厚いものが用意されているが…。
だが、そんなことはこの際どうでもいい。何故、高々仮眠室に水洗トイレと洗面台まであるんだ?しかも、覗き窓の正面の丸見えになる位置に。
「…まるで、牢獄だな。」
「そうですか?俺みたいに吊り篭に入れられて閉じ込められるより、100倍マシだと思いますけど。」
ここと同じような仮眠室は全部で4室あったのだが、その3つ目に面白いものがあった。杉田が洗面台のところで、鍵を見つけたのだ。タグには「現像室」と書かれている。
「どこかに現像室ってのがあるんですか?」
「ん〜?よく知らないけど、鍵があるって事は、部屋もあるんじゃないか?あるとすれば地下だと思うけど。」
あるとすれば都合がいい。ちょうど現像したいフィルムもあったところだ。
廊下を奥に向かって歩いていると、ある地点から証明が蛍光灯から赤外灯に変わった。あたり一面が真っ赤に染まる。「赤は警戒色」という深層心理により、無意識に焦燥感があおられる。それと同時に今まで壁の両側に頻繁に見られたドアもなくなった。もはやこれ以上進んでも、何も無いのではないかと疑いながらも進んでいると、突き当たりのところでやっと一つのドアを見つけた。
プレートには「現像室」と書かれている。さっそく鍵を使おうとしたが、仮眠室と同じように鍵穴が2つある。さて、この鍵はどちらの鍵だろう…。
まず、上の鍵穴に挿し込んでみる。ガリガリ、という異音と痺れた指先にも伝わる違和感。案の定、鍵は回らない。一応念のため、ドアノブも回してみるが、当然開くはずも無い。それならば今度は下の鍵穴。
「…先輩、大丈夫ですか?」
視界がはっきりしないのと、手の震えで、挿し込むときに少し手間取ってしまった。
一度吐いたことで、気分自体はさっきより少しは良いのだが、正直これではいつまでもつか…。
鍵の先端が鍵穴に入ってしまえば後は順調だった。少し力を入れただけで鍵は鍵穴の中に沈みこみ、右に回せば音と指先に感覚で開錠されたことが分かった。その上で再度ドアノブに手を掛ける。…しかし、開かない。
「やっぱりもう一本、鍵が要るんですかねぇ?」
まぁ、鍵穴が二つあるのだから、そう考えるのが妥当だろう。そう思って、諦めてドアを離れようとすると、
「もしかして…杉田か?」
ドアの向こう側から声が聞こえてきた。
「その声は、一之瀬だな!もう一つの方の鍵はそっちからじゃ開かないのか?!」
マジックミラーになっている覗き窓から彼の顔が見える。仮眠室と同じ造りならばもう一つの鍵は内側から簡単に開けることができるはずだ。
「ちょっと待ってろ、すぐ開けるから!」
その言葉どおり、すぐに内側からドアが開けられた。
「杉田、よく無事で…。それとこっちは、手塚先輩?!何でここに…?」
手塚はその問いには答えなかった。
「君も…、無事だったか…。よかっ…た…。」
ついに訪れた限界。いや、いくつかのそれは既に超えていただろう。手塚はその場に倒れ、意識を失ってしまった。
…暑い。暑くて寒い…。全身が震えているのに汗が流れ出る…。体中の皮膚が灼けて剥がれ落ちそうなのに、そこが永久凍土の底であるような感覚…。それは同時に激痛でもある。激痛は内臓を侵食する。もはや自分の内臓は強力な酸で全て溶かされ、今すぐにでも上下の穴から噴出するのではないだろうか。頭蓋の内側では1000匹のミミズが互いに絡み合っている。そして、縛られたように動かない体…。ここが、地獄…?
…違う!俺は死ねない!死んでいるはずはない!
「…ぅ、ぅあ…、ぁ、あぁ、ぁああああああああァ!」
彼は既に重金属と化したまぶたを全身の力を込めてこじ開けた。真っ赤な光に照らされて目が眩む。まるで炎の中にいるようだ。やっぱり俺は死んだのか?
「ダメですよ、先輩!まだ起きちゃ!」
赤い光を遮って見慣れた顔が視界に入ってきた。
「うぅ…、杉田か…。ここは一体…?それに、一之瀬は…?」
「ここは現像室です。僕ならちゃんとここにいますよ。もう大丈夫ですから落ち着いてください。血清も打ちましたから。」
血清?一体何のことだ?
「先輩はハンター・Iの毒に侵されてたんです。稀に毒をもったハンター・Iがいるそうですけど、心当たりはありませんか?」
心当たりは…ある。おそらく屋上から降りてきた直後だろう。あのときのハンター・Iは色も他と違ったし、あの直後から症状が出たような気がする。
「そうか…。でも、そんな血清なんてどこにあった?その辺に転がってるものじゃないだろう?」
杉田と一之瀬は少し困ったような顔を見合わせた。何か、言いにくいことでもあるのか?
「えーっと…、皆川さん、でしたっけ?先輩の知り合いだって言ってましたけど…」
予想外の人物の名が挙がる。
「彼が来たのか!?」
ここに来るまでどこにもいなかった彼がどうして…。
「ええ…。先輩が倒れたすぐ後に…。それで、血清を打って、すぐまたどこかに行ってしまいました。まだ何か、やる事があるそうで…。」
…忙しい男だ。しかし、また彼に助けられてしまったな…。
上体を起こそうと、今一度力を込める。しかし、全身がひび割れているような痛みと痺れで、それも断念せざるを得ない。食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れる。
「だから、まだダメですよ!無理しないで下さいって!」
全く持って杉田の言うとおりである。だが、手ごたえはあった。きっと、もう少しで動けるようになる。ならばその前に出来ること…。
「…そういえばさ、こんなのがあるんだけど、現像できる?」
手塚はそのふところから使い切ったフィルムの入ったカメラを取り出した。カメラからフィルムを取り出して一之瀬が答える。
「ええ、多分出来ると思いますけど。何が映ってるんです?」
「分からないから現像するんだ。あ、最後の1枚だけは俺が撮ったかな?」
「…分かりました。15分くらいで終わらせますね。」
そう言って一之瀬は手塚が寝ているソファとは向かい側のいろいろな器具(おそらく写真の現像に用いるものだろう)の前に立ち、なにやら作業を始めた。
う〜ん、こういう時、写真の知識を持っている人間がいると助かるなぁ。
「そういえばさ、樋口はどうした?いっしょにここに来たんじゃないのか?」
もはや安否が確認できていないのは彼だけだ。もう誰も、死なせたくはない。
「…なるべく早めに言おうと思ってたんですけど…。」
一之瀬が作業の手を止め背を向けたまま話す。
「多分、樋口先輩はもう…。殺されたかもしれません…。連れて行かれたんです。特殊部隊みたいな格好をした男に…。」
特殊部隊…。また、厄介な奴が出てきやがった…。
「…確認するけどさ、それは、ゾンビとか何かに『連れ去られた』わけじゃないよな?人間に『連れて行かれた』だけだよな?」
「はい。それは間違いありません。声はほとんど出さなかったし、顔も覆面みたいなので隠してましたけど、確かに人間でした。」
そうだとしたら、まだ望みはある。連れ去ったということはそれなりの目的があったはずだ。逆に殺された方がマシのような最悪の状況になる可能性もあるが…。
しかし、この期に及んでそんなマネをする人間…。そいつが何らかの糸を引いていると思って間違い無いだろう。
「そのとき杉田は既に、あの吊り篭の中に入れられてた…、間違いないな?」
今度は一人蚊帳の外だった、杉田に聞いてみる。
「え、ええ。そうです。僕と、一之瀬と、樋口先輩の3人は今日の朝、川田と一緒に亀村先輩の家でゾンビに襲われた後、何とか情報を得ようと思って、ここに来たんですけど、ここにも誰もいなくて…。それでも誰かいるんじゃないかと思って、探してたんですけど、突然何者かに、多分、一之瀬が言ってる特殊部隊の男だと思うんですけど、そいつに襲われて、催眠スプレーみたいなのを吹き付けられて…。気付いたらあの篭の中でした。」
同じようなことを一之瀬にも聞いてみるが、やはり彼も同様にしてここに閉じ込められたらしい。
「そうか…。大変だったな。それで、樋口が連れ去られたのはいつぐらいのことなんだ?それによって対応も変わってくるけど…。」
「それが…。実は、ほんのちょっと前なんです、先輩が来る10分くらい前。だから、先輩が来たとき、もしかしたら、そいつがもう一回来たのかと思って、鍵のつまみのところを抑えて、入れないようにしてたんです。」
…タッチの差、か。