第34話:写真現像
その後もしばらく話を続ける。
彼らの話によると、手塚が気を失っていた時間は15分位らしい。それから逆算すると、樋口が連れ去られてから約30分が経過している。30分あれば死体の始末まで出来てしまうな…。そうして、話のネタも尽きかけた頃、
「現像、出来ましたよ。」
一之瀬から出来上がったばかりの写真を受け取った。
「最後の写真…、なんですか、これ?ゾンビ…、でもなさそうですし。」
このフィルムの中で唯一自分が撮った写真。そこには迫り来る『G』の姿が見事に記録されていた。
だが、手塚はそんなものに興味は無い。問題はその前の写真に何が写っているか、だ。
1枚目。町長の銅像。去年町役場の敷地内にある噴水の中心に立てられたものだ。目障りで仕方ないという評判だったが、噴水に中心にあり、その上監視カメラまで仕掛けられていたため、イタズラも出来なかったらしい。
2枚目。噴水の噴出を止めたところの写真。横でバルブを閉める男の姿が映っている。バルブの蓋は噴水の縁にカモフラージュされていた。これではバルブに気付く人間はいないだろう。
3枚目。バルブを納めた穴の中をアップにした写真。よく見れば穴の底にもうひとつ蓋がある。
4枚目。隠し蓋を開けた写真。あからさまなボタンがある。
5枚目。1枚目と同じアングル。しかし、1枚目とは明らかに変化した箇所がある。噴水の前に敷かれた大理石の一部が開き、パスコードを入力するパネルが現れていたのだ。
6枚目。パスコードを入力したところの写真。これでパスコードも分かった。
7,8,9枚目は連続写真。パスコードを入力すると、何故か二つある排水口の一つが開き、溜まっていた水が排出される。水が全て排出されたあと、残ったもう一つの排水口が開き、はしごが現れた。どうやらこちらは排水口ではなかったようだ。
10枚目。排水口(に見えたもの)を上から覗いた写真。はしごの下に続くらせん状の階段が見える。
11枚目。重そうな鉄製のドアの写真。おそらく螺旋階段の先にあるものだろう。この先には何があるのか…。まぁ、次の写真に写っているだろう。
12枚目。ハンマーを振り上げた「G」の写真。…あれ?これ、俺が撮った奴だ。
「写真って、これだけ?」
「ええ、今時12枚撮りのフィルムっていうのも珍しいですね。」
折角11枚目まで撮ったのだったら、ついでに、あと一枚撮ればよかったのに。まぁ、そうされていたらこのフィルムを現像することもなかったし、その前に「G」にやられていたかもしれないけど。しかし、これでこれからの行動は決まったな。体の痺れも、もうほとんど消えている。
「さて、行こうか。」
手塚が、ソファに掛けていた腰を上げる。
「行くって、どこにですか?」
「僕はこのドアの向こう側に、君達は僕の家に向かってもらう。」
そう言って、11枚目の写真を示す。写っているのは鉄製のドア。見方によっては地獄への門にも見える。
「そんな!危なすぎますよ!何があるか分かったもんじゃない!」
杉田の言うことももっともだが…。
「だって、あからさまに怪しすぎるだろ。これは見に行かないわけには行かないな。」
少しおどけた感じで言ってみた。一応気を使ったつもりなんだが…。
「好奇心で命を捨てる気ですか?」
一之瀬に突っ込まれた。もちろん、そのつもりはさらさらないが…。
「もしかしたら樋口が連れていかれたのはここかもしれないだろう。それを確かめずにこのまま彼が行方不明のままだったら、この先僕は寝覚めが悪くてたまったものじゃない。それに、…君たちがなんと言おうと、僕は自分の考えを変えるつもりは無い。」
これが手塚の駆け引きにおける切り札だ。普段は穏やかな態度をとるが、ここ一番では、厳しい口調と鋭い視線をちらりと見せる。これだけで大抵の我は通せる。今この時、本人にその意識があったかどうかは定かではないが。
「…分かりましたよ。でも、そんな状態で大丈夫なんですか?さっきまで、毒にやられてたわけだし、それでなくてもまともに動けるようには見えませんよ。」
いくら口で誤魔化しても、もはや自分の体調を隠せるほどの余裕は無いようだ。
「そういう時のために、これがある。」
手塚は懐に収めていたケースから注射器と小さなアンプル瓶を取り出した。
「さて問題です、これは何でしょう。」
手塚は片手で器用にアンプル瓶の蓋を外し、注射器に薬液を吸い上げる。
「ヒント1、化合物名はメタンフェタミン。」
注射器の先端に残った空気を押し出す。少量の薬液が勢いよく噴き出す。
「ヒント2、一般名はヒロポン。日本では戦中、戦後に掛けて、広く出回ったことがあります。」
注射器の先端を自らの左腕に運ぶ。杉田と一之瀬の二人は半ばあっけに取られてその光景を見ているだけだ。
「ヒント3、主な薬理効果は交感神経興奮作用と中枢興奮作用。」
注射針が静脈に沈む。どうやら杉田は気付いたらしい。
「まさか…、覚醒剤?」
「御名答。」
ピストンを軽く押すと、薬液は全身血流の流れに乗った。同時に疲労感が減退し、感覚が鋭敏になっていく。
「先輩…。」
目の前で行われる所業に一之瀬がもらしたわずかな抗議。だが、
「あまり口ごたえしないほうがいいぞ。薬のせいとは言え、攻撃的になっているからな。」
その一言で一蹴された。
現像室のドアを開け、外に出るため廊下を歩く。
「G」と黒衣の巨人があれからどうなったかは知る由も無いが、どちらか、あるいは両方が、そのあたりをウロウロしていても全く不思議は無い。気が抜ける瞬間など一瞬も無いのだ。いずれ奴らとは決着をつけねばなるまい…。
薬剤によって揺すり起こされた闘争本能が呼びかける。さっきまでの自分ならば考えられなかったことだ。全く、薬と言うものは恐ろしい。
そして、外に出る。幸いにも、なのか、残念ながら、なのか「G」も黒衣の巨人も現れなかった。手塚はバイクに積んであるありったけの弾薬をポケットというポケットにねじ込む。これが無くなったら打ち止めだ。
「このバイクはお前等にやるよ。お前は俺の家の場所は知ってるな?」
杉田が黙って頷く。
「よし、じゃあ、さっさと行きな。みんな待ってるぞ。」
あらかじめトランシーバーで家には連絡は入れておいた。向こうも特に変わりは無いらしい。後は途中の道で何も無いことを祈るだけだ。
「先輩も、気をつけてくださいね…。」
一之瀬の去り際の一言。
「分かってる、その台詞は他の奴からも何度も聞いて聞き飽きたよ。」
今の手塚にそれを素直に感謝する余裕は無い。
二人が乗ったバイクが角を曲がり、見えなくなるまで目で見送る。
これでまた独り…。
自分以外に守るべきものもなく、気楽と言えば気楽。だが、自分以外に自分を守るものもなく、不安と言えば不安というものだ。別に、実際に体を張って守ってくれなくてもいい。ただ、話してくれるだけで、誰かがそこに居てくれてば、それだけで心強い。
昔、自分を評してこう言ったことがあった。
「孤独が大好きな寂しがり屋」…。
覚醒剤の力でも、この性質ばかりは取り払えないらしい。
さて、例の噴水のほとりまで来た。写真に従って操作をしていくと、これまた写真の通りに事が運ぶ。パネルに写真どおりのパスコードを入力し、排水が終わった後、そこに現れた階段を下る。唯一写真と違ったところはその先のドアが、既に開かれていたところだ。鍵が閉まっていたりしたときのことを考えれば、幸運といえば幸運だろうが、こう上手く事が運ぶと、むしろ気味が悪い。罠である可能性も含めて、こんなときに限って後でろくなことが無いものだ。
扉の向こうは通路になっていた。四方の壁は岩肌と土が剥き出し。だが、岩の角が擦れて丸くなり、ほとんど凹凸がなくなっていることを考えると、そこまで新しいものとは思えない。天井には所々に裸電球。周りが見えないことは無いが、心許ない明るさではある。
手塚はこれに似たものを見たことがある。沖縄で行った、大規模な防空壕。米兵に追い詰められ、集団自決をしたという部屋も見せられた。そのときは原因不明の頭痛、吐き気、そして重圧に襲われた。今はそんな症状は無いが、ここの雰囲気はそこに似ている。しばらく歩くと、道が三つに分かれた。正面と右と左…。どの道を行ってもいいのだが、ここは「右手の法則」を使おう。右手に壁を触れさせ、その道なりに行けば、一部の例外を除きまず間違いなく入り口には帰って来れる。そう考えて右の道に入ると、
「グワオゥォゥオゥゥォォ!」
どこかから唸り声が聞こえてきた。周囲の壁に響いて正確に何処からかは判らないが、恐らく背後から。手塚はその声に弾かれるように分岐点まで立ち戻った。
入り口方向を背にして視界を広く保つ。自らが張り詰めた空気の向こう側に敵意を探る。
「ヴォオォォォォォォ!」
張り詰めた空気が固体になって震動する。衝撃波になった音波が体表を駆け巡る。
…正面。確かに声はそこから聞こえた。未だ薄闇の先にいて見えない敵に向かって銃を構える。…見えた!黒衣の巨人!何処で拾ってきたのか一度は手放したはずのバズーカを構えている。
…ちょっと待て!こんな所でそんなものをブッ放ったら…!
この状況で撃ち合っても恐らく相打ち。相打ちは敗北に等しく、敗北は死に等しい。手塚は射撃を諦めて横に飛び退く。直後、バズーカの弾が通路を駆け抜ける。狙ったのかそうでないかは分からないが、バズーカの弾は手塚がいたその位置よりも上に逸れ、入り口方向の通路の天井に当たった。床も壁も天井も空気も、世界が振動する。そして天井が崩れる音。音の印象からして、相当派手に落盤したらしい。通路は完全に塞がれているだろう。
…ほら見ろ、だから言わんことはない。これで、もう逃げられんぞ…。
黒衣の巨人の足音が一歩一歩迫ってくる。手塚は曲がり角付近の壁を背にしてそれを待つ。本当ならば、もう少し距離を開けたい。だが、これ以上バズーカを打たれて落盤を起こされては、たまったものでは無い。ならば敢えて接近戦を挑もうというものだ。奴が現れた瞬間を逃さぬよう、今は何も無い空間を狙って銃を構える。足音がすぐそこまで近づいてきた。恐らく、あと一歩で姿が見える。次の瞬間、表れた黒い影に、手塚は二度引き金を引いた。