(6)瀋陽〜柳条湖事件現場と九・一八歴史博物館

 前回の更新から、かなり間隔があいてしまいましたが、2月の大連・瀋陽旅行の続きです。
 ヌルハチの陵墓、福陵(東陵)を見た後、また瀋陽市街地に向けてタクシーに乗り、続いて降りたのが九・一八歴史博物館。ここは満州事変の発端となった、柳条湖事件の現場。1931(昭和6)年9月18日、日本の関東軍が柳条湖付近の南満州鉄道線路上を爆破し、これを張学良を中心とした中国側の謀略であるとし、中国東北部侵略を開始するきっかけとなりました。
 中国側はこれを、九・一八事変といい、爆破された線路の脇に九・一八歴史博物館を建設しています。
 決め付けるのは良くないと思いながらも、どうせ内容は(以下略)・・・と、「折角だから中に入ってみよう」と希望するムスタファ氏を無視し、あくまで博物館の外観と、事件の現場を撮影するにとどめました。今にまで影響を及ぼす日中間の紛争の発端となった現場の1つとして、非常に重要な場所です。

道中
 非常に広い車道をタクシーがぶっ飛ばしていきます。


九・一八歴史博物館旧館
 1931年9月18日のカレンダーをかたどった非常に特徴的な形状の旧館。現在は閉館され、中に入ることは出来ません。背後にある新館が、現在の展示会場。

奉天忠烈祀碑
 奉天の靖国神社分社にあったものらしいです。中国人民によって倒され、ここに移されたとか。

九・一八事変柳条湖爆破地点碑 (炸弾碑)
 関東軍が満州事変の発端となった柳条湖事件を記念して建てたもの。いやはや、関東軍も「記念」しちゃうとは・・・。おかげさまで、もちろん戦後は中国によって倒され、逆の「記念」として横たわっています。モニュメントの意味を考えさせられます。

爆破現場全景
 博物館脇の線路。かつて爆破された現場は、瀋陽と長春(吉林省の省都)などを結ぶ路線です。ちなみに長春は、満州国時代は、その首都である新京だった場所です。

爆破現場全景
 貨物列車が通過していきました。




↑ PAGE TOP