ベルリン大聖堂から西へ、同じくミッテ区にあるブランデンブルク門は、旧王宮に至る目抜き通り「ウンター・デン・リンデン」の凱旋門として、パリ広場に面して建てられたもの。1788年から1791年にかけて建設されました。ちなみにモデルは、アテネのアクロポリスにあるプロピレア(神域の入り口の門)で、砂岩のドリス式円柱を両面に配し、屋根にはカドリガ(クワドリーガ)という、勝利の女神ヴィクトリアが乗る青銅製4頭立て馬車が付いています。
なお、東西ドイツ分裂時代にはベルリンの壁際の立ち入り禁止地域の真ん中で孤立しており、壁が崩壊したときには、多くの市民がこの場所で統一を祝いました。そして、現在は再開発が進んで各国の大使館や豪華ホテルが建設されていますが、南には黒い棺のように見える大きな石板が、大量に並べられて異様な光景になっています。
これはアメリカの建築家、アイゼンマンがデザインした、ドイツ政府によるホロコースト慰霊追悼碑で、2005年に完成したもの。第2次世界大戦中に犠牲となったユダヤ人を追悼しています。
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