(3)リスボン:サン・ジョルジェ城と国立古美術館


リスボン大聖堂
イスラム教徒であるムーア人に支配されていたリスボンが、1147年にアフォンソ・エンリケス(のちの初代ポルトガル王アフォンソ1世)らによって攻略されたことから、モスクのあった場所に建築が始められた教会。以後、20世紀に至るまで長期にわたって建築や修築の手が加えられ、特に1755年のリスボン地震で被害を受けて大がかりな改修を受けていることから、様々な時代の様式が交じり合っています。




サン・ジョルジェ城
リスボン市の高台にあり、リスボン市街の眺望が抜群の城。この場所には、紀元前2世紀には要塞があったとのことで、その後はリスボンを支配した様々な国家、民族が使用してきました。そして、1255年にはポルトガル王国の王宮になりました。





サン・ジョルジェ城
16世紀初頭、マヌエル1世はリベイラ宮殿を造営したことから、この場所はあまり使用されなくなり、1531年の地震や1755年のリスボン地震で大きな被害を受けます。その後、気象台が設置されるなど別の用途に使われ、現在は公園となっています。では、しばし城内の写真をご覧ください。







背後にサン・ジョルジェ城が見えます。


ロシオ広場(ペドロ4世広場)
バイシャ・ポンバリーナ地区にある広場で、1755年のリスボン地震による被害を受けて周囲の建物ともども大幅に改修。写真背後は、1840年代に建てられたマリア2世国立劇場。

ペドロ4世像
ひと際目立つ像は、ペドロ4世(1798〜1834年)の像。当初はブラジル皇帝ペドロ1世として即位し、ポルトガル本国の意に反してブラジルを独立させました。その後、ポルトガルの王位継承に際して、弟のミゲルとポルトガル内戦(1828〜34年)を繰り広げ、 ペドロ4世として即位しましたが、間もなく病死しました。

さて、今度は場所を変えまして・・・。


国立古美術館を探訪します。

1657年のベレン地区の様子。右にはジェロニモス修道院、左奥にはベレンの塔が見えます。


南蛮屏風
17世紀中頃に日本で描かれたもの。


こちらは日本の陶磁器。

こちらは1746年に描かれたマカオの風景。


南蛮屏風
狩野内膳(1570〜1616年)の手による南蛮屏風(南蛮人渡来図)。狩野内膳の手による南蛮屏風は、神戸市立博物館所蔵品が特に有名であり、国の重要文化財に指定されていますが、こちらも中々。テーマは基本的に同じで、左の屏風では帆を広げ、異国(ポルトガルのゴア)の港を出港する南蛮船と見送りの人々が描かれ、右の屏風で日本に到着した南蛮船からの貿易品の荷揚げ、上陸したカピタン一行、出迎えのイエズス会宣教師とフランシスコ会修道士、日本人信者などが描かれています。

南蛮屏風
部分拡大したもの。動物も描かれていますね。



南蛮屏風
こちらは狩野道味の手による南蛮屏風。狩野内膳と同時代の作品だそうですが、狩野道味という絵師についてはよく分かっていません。



1708年にマカオで作られた屏風のようです。







解説は割愛しますが、実に様々な収蔵品があります。



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