(9)パラティーノの丘
何となく路面電車を追いかけつつ、コンスタンティヌスの凱旋門を奥に臨む、このような場所にやってきました。写真右奥がコロッセオで、左奥がフォロ・ロマーノです。そして、道路の途中まで横断する、こんな建造物に出会います。クラウディオの水道橋です。一般的に観光地となっている同名のものは、もっと別の場所にあるようですが、ここから延びているものなのかもしれませんね。
そして、フォロ・ロマーノと、チルコ・マッシモ(大競技場)の間にあるパラティーノの丘にやってきました。古代にはローマ建国の英雄ロムルスとレムスがかつて住んだと云われる場所で、その後はフォロ・ロマーノを臨む高級住宅街として、初代皇帝アウグストゥスをはじめとする歴代皇帝や、貴族が住みました。そのため、パラティーノが転じて、宮殿を意味する、イタリア語のパラッツォ、英語のパレスの語源となったそうです。
さて、全然長蛇の列ではなかったのですが、切符を販売する人が2人しかいなくて、しかも非常にごゆっくり。お客さんもお客さんで、学割はOKかどうかなど、押し問答が続き、何とこの状態から40分かかって、ようやく入ることが出来ました。ちなみに、「ローマパスでコロッセオに入ったのなら、ここも共通だからOKだよ!」と言われ、本来であれば行列に並ぶこともなく入れたのでした。ええ〜・・・っ。大幅な時間のロスです。
さて、コロッセオ、フォロ・ロマーノ、パラティーノの丘の位置関係はこんな感じ。広い!見るのに時間が幾らかかるのでしょう。まさか、今日はこれで終了ということは無いでしょうか・・・、と少々焦ります。
早速、古代の建物が見えてきます。これは、Septizodiumと云うらしいのですが、よく解りません。
こちらはスタジアム。
別角度から。左は皇帝閲覧席。
かつてはこのような姿であったのではないかと、推定されています。コロッセオのような闘技場とは趣が随分と違うようですが、どのように使われたのでしょうか?
パラティーノの丘は広く、説明の無い部分もあるので、何が何やら状態になりながら先に進みます。
こちらはドムス・フラヴィア。
同じくドムス・フラヴィア。
これもドムス・フラヴィアの一部・・・のはず。
こちらはパラッツォ・フラヴィオ。
ここでパラティーノの丘から北を眺めます。写真奥の白い建物が、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂。1870年のイタリア統一の立役者であるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて1911年に完成した記念堂で、実にあちこちから良く目立ちます。ウィキペディアには”地元のローマ市民には「ウエディングケーキ」、「タイプライター」「入れ歯」などと呼ばれていて、あまり評判がよくない。”とありましたし、他の本でも概ね似たような記述があります。
後で御紹介しますが、建物単体だと格好いいのですが、景観は見事にぶち壊しです。
こちらはローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの妃、リヴィアの家。これはまあ、遺跡を保護する建物でしょう。
中に入ることは出来ませんが、ガラス越しに見ると当時の壁画もしっかり残っています。ううむ、これは凄い。
続いてリヴィアの家の向かい側に建つ、アウグストゥスの家に入っていきます。まさか、ローマ初代皇帝の御自宅にうかがうことが出来るとは思いませんでした。11時からオープンで、一度に入れる人数制限もありますので要注意。また曜日限定もあります。
見所はこの奥にある建物にある壁画。
2階の壁画はガラス越しに眺めます。
そしてこちらが1階部分の壁画。
こちらはもう一部屋の壁画。超広角レンズがあれば、部屋全体が撮影できるのですが・・・。
それにしても、よく残っているものです。初代ローマ皇帝の家ですよ!ちなみに、ご覧になってお気づきと思いますが、アウグストゥスは質素な生活を好んだため、それほど住宅にお金をかけることはありませんでした。
こちらはドムス・ティベリアーナ。地下には色々ありそうです。
そしてここから、フォロ・ロマーノを見下ろして1枚。
こちらはファルネジアーニ庭園。
さて、次はいよいよフォロ・ロマーノを見て行きます。