(26)サンタ・クローチェ教会・サンタ・マリア・ノヴェッラ教会等


 さて、今度はヴェッキオ橋の東にあるグラツィエ橋を渡り、再びアルノ川の北へ行きます。日もだいぶ暮れてきました。様々な場所で、建物の内部見学をカットしてしまいましたが、ミケランジェロ広場からの眺めを優先した以上、仕方ありません。

 立派な国立図書館。

 その裏手に広がるのが、サンタ・クローチェ教会。1385年に完成した、フランシスコ会の聖堂で、大理石を用いた正面や鐘楼は19世紀中頃に完成。ガリレオ・ガリレイやミケランジェロ、「君主論」などの著作で有名な政治思想家のマキャベリ、作曲家のロッシーニなどの墓があります。

 ・・・既に公開時間を過ぎており、内部見学は出来ませんでした。では、今度は西へ進んでいきます。

 こちらはダンテの家。ダンテはフィレンツェの貴族の家柄に生まれ、行政長官を務めた後、37歳の時に政争に巻き込まれてフィレンツェを追われ、以後フィレンツェに帰ることは出来ませんでした。この建物は、20世紀初めに再建されたものです。

 正月カウントダウンを前に、多くの人で賑わう共和国広場。

 こちらはオルサンミケーレ教会。当初は穀物倉庫として建てられ、さらにフィレンツェの商工会館を経て教会になったという、ユニークな経歴を持ちます。面白いのは1階を飾る彫像の数々。銀行家、商人、手工業の職人など、フィレンツェの繁栄を支えた各業種の守護聖人たちで、手にはそれぞれの職種にゆかりのある品々を持っています。

 ストロッツィ宮。ルネサンス期を代表する邸宅の1つで、1539年の完成です。

 共和国広場へ向けて、付近の風景を1枚。

 特にガイドブックには載っていませんが、古そうな建築がありました。写真右手の建物もそうですが、角に石を貼って建物の雰囲気に重みを出す手法が面白いですね。

 ストロッツィ宮から西へ行くと、ルチェッライ宮。1451年に完成した、初期ルネサンスを代表する邸宅です。

 そしてフィレンツェ観光もいよいよラスト。サンタ・マリア・ノヴェッラ教会です。
 1246年に着工され、14世紀後半に完成。1458年にアルベルティによって正面装飾が改築された、ゴシック様式の教会です。時間が遅いので、当然内部が見られるはずがありません。また、非公開ですが、レオナルド・ダ・ヴィンチが「モナリザ」を描き始めた「法王の間」などがあります。

 ちなみに正面は、こんな感じですが・・・。

 裏側に回ると、全く別の教会のような雰囲気なのが面白いですね。

 さて、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅近くで夕食を食べます。私が食べたのは、ラザニア。

 さらに、デザートにクレームブリュレ(※これはフランス語ですが)をいただきます。食べる直前にバーナーで焦がしていただく、プリンに近い食べ物で、物凄く濃厚でとろ〜りとしています。この店のこれを日本で売り出せば、爆発的にヒットするのでは?と思う、絶品グルメでした。ラザニアも美味しかったですが、これのインパクトが強すぎてあまり記憶に残っていません。

 夕食後も予約していた列車まで時間があったため、付近をウロウロ。すると、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅の西側で、路面電車(LRT)を発見しました。フィレンツェの中心部には路面電車も地下鉄もありませんが、フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅から北に向けてはLRTが運転されているようです。

 何となく駅名標も撮影。観光客には無縁の路線ですね。

 最後にフィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅で少々撮り鉄。

 イタロも散々見ました(笑)。

 こうして美しい古都フィレンツェに感動してローマに戻りますが、今日の行程はまだ終わりではありません。
 いったん宿に戻った上で、ある場所で新年を迎えることにしました。


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