2.アムステルダム散策 その2


 旧教会東側の運河を歩いていきます。


 アムステルダムの町並みを構成する建物たちは、運河から建物の上へ荷物を運ぶ際に使用する、こうした出っ張った部分があるのが特徴で、他の都市にはあまり見られない景観を形成してくれています。


 再びダムラック通りに戻ります。奥にアムステルダム中央駅が見えますね。


 こんな場所を歩いていき・・・。


 ダム広場に到着。オランダはフランク王国、神聖ローマ帝国、ブルゴーニュ公国、ハプスブルク家(神聖ローマ帝国)の支配を経て、1555年に神聖ローマ帝国のカール5世の息子で、スペイン王になったフェリペ2世が領有します。フェリペ2世は新教徒(プロテスタント)を弾圧するなど、圧政を行ったため、1568年からオラニエ公ウィレム1世を中心に独立戦争が開始されます。

 1609年にスペインと12年間の休戦条約を結び、戦いは一旦収まりましたが、今度はヨーロッパ全土を巻き込んだ三十年戦争へ突入し、最終的に独立を勝ち取ったのは、1648年にスペイン王国がウェストファリア条約に調印してから。ここにネーデルラント連邦共和国が発足し、同年に上写真の王宮の建設が始まりました。設計はJ.ファン.カンペンの手によります。

 ちなみに日本名のオランダは、16世紀からの政治、経済の中心地であった「ホラント州」が転化したもの。


 ちなみにオランダはフランス革命後にフランスに支配され、1795年に傀儡国家であるバタヴィア共和国となります。さらに、ナポレオンがフランス皇帝に即位すると、その弟のルイ・ボナパルトを国王に送り込み、ホラント王国を発足させます。この建物は元々は市庁舎として建てられていたものですが、この時に王宮になります。

 もっとも、ルイ・ボナパルトはナポレオンの命令をしばしば拒否し、オランダ人の利益を追求したため、ナポレオンは1810年に彼を強制的に退位させ、オランダはフランスに併合されました。ナポレオン失脚後にオランダは独立を取り戻し、1814年にウィレム1世(オランダ連邦共和国の最後の総督 オラニエ公ウィレム5世の息子)を国王とするオランダ王国が発足し、現在に至ります。(ちなみに当初はベルギーも支配していましたが、反乱により1830年に独立)

 さて、この王宮は現在のオランダ王室が使用する3つの王宮の1つですが、国賓などの重要なゲストを招く迎賓館として使われています。12時からは17時まで一般公開されているようですが、残念ながら時間が合いませんでした。


 王宮の向かい側にある白いオベリスクは、1956年に造られたもので、第二次世界大戦の戦没者の慰霊塔。1960年代〜70年代には、世界中からヒッピーが集まったとか。


 周辺の風景


 トラム萌え(笑)


 こちらは王宮の北側(右隣)に位置する新教会。元々は前述の旧教会に次いで、15世紀に建てられたものですが、1421年、1451年、1645年の火災で大きな被害を受け、修復と再建が行われました。1645年の火災の際は市庁舎(現・王宮)の建設が優先され、鐘楼が省かれてしまっています。


 新教会では、中国の明王朝をテーマにした有料の展示会が行われており、イメージが・・・。調べてみると、現在は教会としては使用されておらず、こうした展覧会の会場や、王室の授与式・結婚式などに使われているそうです。


 ステンドグラスはさすが、立派なものです。


 さて、王宮と新教会の間も路面電車が走行し、奥で別の路線へ合流します。


 そしてこちらの立派な建物は、マグナ・プラザという昔の中央郵便局を利用したショッピングプラザ。1899年の建築で、C.H.ペートルスの設計。1992年に現在の用途に転用されました。


 別角度から。ううむ、これはすごい建築だ・・・。


 内部は往時の雰囲気を生かしつつ、近代的な雰囲気にリフォームされています。それほど店舗は大きくないので、日本のデパートなどを想像していくと「あれ?この程度の広さ?」という感じではありますが・・・。


 さて、引き続き王宮の西側へ進みます。


 このような雰囲気の良いアーケード街を通り・・・。


 相変わらず路面電車も撮影し・・・。


 アンネ・フランクの家へ。第2次世界大戦でナチス・ドイツの犠牲になり、死後に出版された「アンネの日記」が世界的に有名になった、少女アンネ・フランクが1942年から約2年間、ナチスの迫害から逃れるため隠れ家として住んでいた家(日記を記した場所)で、現在は博物館となっています。写真手前は増築された新しい部分ですね。

 ご覧のとおりの長蛇の列で、とても入場できるような状況ではありませんでした。


 その南向かい側にあるのが、西教会。1631年にヘンドリック・デ・ケイゼルの設計で完成した、オランダ最大のプロテスタント教会です。8.5mの美しい塔が特徴的なほか、これから多くの絵画などを御紹介することになる、オランダを代表する画家のレンブラントが埋葬されています。4月〜10月に公開されているそうで、この日は内部を見られませんでした。


 西教会の前にはアンネ・フランクの像がありました。


 西教会と路面電車の組み合わせ。


 さらに路面電車と王宮(裏側)の組み合わせ。ということで、王宮前に戻って来ました。

↑ PAGE TOP