3.ギア要塞と聖ミカエル教会

 約1時間の船旅、少々船酔いされた味野源次氏と共にマカオに到着でございます。
 本題に入る前にマカオの歴史を少々紹介しておきますと、少なくとも5世紀以降から広州と東南アジアを結ぶ交易船が、船の修理や水・食料の補給に立ち寄る場所として発展を始めます。そして16世紀初頭にポルトガル人が立ち寄り始め、1557年には明王朝からポルトガル人に対し、マカオの永久居留権が与えられました。日本における戦国時代、ポルトガル人たちはマカオを拠点に日本へ来航し、貿易やキリスト教の布教に、大きな影響を与えています。

 さて、マカオはポルトガルの居留地として西洋風の町並みが造られ、そして植民地時代を迎えると、ポルトガルは1887年に清王朝に対し、マカオの永久統治を認めさせ、正式に植民地化されました。往年の隆盛はありませんが、浦賀に来航する前のペリーも立ち寄り、その雰囲気を賞賛しています。

 第2次世界大戦中は、香港と異なり日本の攻撃を受けず、戦争特需で発展。中華人民共和国が発足した後もポルトガルの植民地であり続けましたが、次第に中国への返還交渉が進められ、1999年12月に中国へ返還されました。というわけで、我々が訪問したのはちょうど返還10周年だったわけでございます。

 また、中国とポルトガルの異文化が交じり合った町並み、教会、広場は2005年に世界遺産に登録。カジノが有名ですが、歴史的建造物の多い場所としても注目を集めるエリアです。

マカオフェリーターミナル
マカオ観光はここからスタート。まずはタクシーを拾います。

ギア要塞
 地図を指して「コレ、コレ!」と指で示し、フェリーターミナル近くの高台にある、こちらのギア要塞へ連れて行ってもらいます。マカオで一番高い場所(海抜92メートル)にある要塞で、1622年から1638年にかけて築かれました。

ギア要塞

ギア要塞
要塞から見たマカオの怪しげな近代ビル群。

ギア要塞

ギア要塞(ギア教会とギア灯台)
 ギア要塞の上には、要塞建築途中の1626年頃に造られた聖母礼拝堂であるギア教会、さらに1865年に中国で初めての近代的灯台として造られたギア灯台があります。ちなみにマカオの位置を示す北緯22度11分52秒、東経113度32分47秒は、この灯台の場所が基準となっています。

ギア要塞より
 高層ビルや高層マンションが建ち並ぶようになり、次第に風景が変化するマカオ。ところで、写真中央に教会と墓が見えますが・・・。

聖ミカエル教会&聖ミカエル墓地
 ポルトガル人や中国系マカオ人が眠る墓地と、1875年に建てられた聖ミカエル教会。世界遺産ではありませんが、次なる目的地はココです!

ギア要塞の大砲

ギア要塞より
 ギア要塞東部。このエリアは様々なビルが建ち並ぶ近代的な都市であるのが特徴です。それでは、ギア要塞がある丘を降りて、聖ミカエル教会に向けて進撃します。

近代建築?
聖ミカエル教会に行く途中で撮影した美しい建築。詳細は不明です。

マカオの風景
 意外と坂の多いマカオ。そして、整然と(?)路上駐車されたバイクの脇を、バスが頑張って通過していきます。

マカオの風景
これと言った意味はありませんが、普通の町並みをちょいと撮影。

マカオの風景

聖ミカエル教会
先ほどのギア要塞から見下ろした聖ミカエル教会。薄い水色の建物が特徴ですね。

聖ミカエル教会内部
決して大きいわけではなく、こじんまりとした雰囲気。誰もいなかったので、我々だけで堪能できました。

聖ミカエル教会内部
非常に美しいステンドガラス。これだけで十分に神聖な気持ちになりましたが、
まだまだ素晴らしい建築とこれから出会います。

聖ミカエル墓地
様々な形の墓があり、日本の墓とは随分と様相を異にしています。