ここは、1593年の豊臣秀吉による朝鮮侵略によって李氏朝鮮の全ての王宮が焼失されたため、
宣祖王が、かつて息子の
月山大君(1454-1488年)のために建てた邸宅を仮の居所として使った場所。
のち、光海君がここを慶運宮とし、日本で言う明治時代である1877年に高宗は政府庁舎に合うように宮を広げました。
そして、李氏朝鮮の最後の王・純宗王がここに住みながら徳寿宮に名を変え、現在では李氏朝鮮の王宮の建築に関する資料が入っているとか。
写真はその徳寿宮のなかの大漢門。1906年に建築されたものです。ここでは今でも王宮守備隊の交代式が行われるそうで、非常に格好良く人気のスポットとなっています。